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使用感 難易度4、範囲風属性攻撃。 風属性のためにダメージの幅がでかい。 サマナーにとって“狙った一定の範囲を確実に”攻撃できる唯一の範囲攻撃 マスターすればスタンの威力は強力。 CP獲得がありレミネッサを装備する事で相当な連射が可能。 考察 GVでは相当な格下か装備が異常にお察しすぎる相手でなければスタンにかけることはできない
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登録日:2023/03/15 Wed 00 18 50 更新日:2024/03/15 Fri 16 51 59NEW! 所要時間:約 27 分で読めます ▽タグ一覧 155mmじゃなくて90mmの方 61式戦車 やられ役(映画) やわらか戦車 ガンダムじゃない方 マイルストーン 世界一操縦の難しい戦車 世界操縦士に優しくない戦車大会優勝候補 主力戦車 主砲が1門だけの方 凶器と化すクラッチレバー 国産 地球連邦軍じゃない方 平成 戦国自衛隊 戦車 昭和 東宝特撮 第1世代MBT 習作 自衛隊 角川61式 軍事 銀幕のスター 陸上自衛隊 61式戦車(陸上自衛隊)、または61式戦車(本物)、あるいは61式戦車(日本)とは、西暦1961年に正式採用された自衛隊の主力戦車である。 え?なんでそんなに表記が揺れてんだよって?コイツのせいだよ!!!! →→61式戦車(ガンダムシリーズ) ▽目次 【61式戦車(西暦)ってどんな戦車?】 【61式戦車(主砲が一本の方)の性能】「走」 「攻」 「守」 【61式戦車(第1世代MBT)の開発経緯】 【61式戦車(4人乗りの方)の活躍】 【フィクションでの61式戦車(ガンダムじゃない方)】・映画 ゲーム 【61式戦車(西暦)ってどんな戦車?】 第二次世界大戦に敗北し、植民地も軍備も一切合切を失ってリスタートした大日本帝国あらため日本国。 その戦後日本が再軍備を行うにあたって最初に開発・生産した、国産戦車の記念すべき第1号……それこそが61式戦車(リアル)である。 しかし開発といっても国産戦車の開発史は敗戦時点で止まったままだったので、とりあえず M4中戦車シャーマンやM24軽戦車チャーフィーなどの、当時の自衛隊に配備されていた戦車 参考資料としてアメリカからもらったM36駆逐戦車ジャクソン M48主力戦車パットン、T95E2試作戦車、M56スコーピオン空挺戦車などといったアメリカの最新型戦車 などといったアメリカ戦車の技術を下敷きにしつつ、しかし同時に自国での戦車開発のノウハウを蓄積するため 大戦中の最後の主力中戦車(予定)だった四式中戦車 当時として可能な限りの最新技術を意欲的に盛り込んだ、旧軍最後の中戦車である試製五式中戦車 などで使われた技術を随所に使用・検証、技術的なステップアップを狙った、いってみれば日米折衷のハイブリッド戦車として開発された。 61式だけどハイザックみたいだねコレ。 【61式戦車(主砲が一本の方)の性能】 「走」 おとーさん(大日本帝国)側からの遺伝が多々みられる部分。 動力源には、新開発された三菱製空冷ディーゼルエンジン「12HM-20WT」が採用された。 ガソリンエンジンに比べパワフルで低燃費、耐ダメージ性も高いディーゼルエンジンの搭載は当時の世界的な流行に乗った形だが、実は主機にディーゼルを使うのは旧軍戦車からの伝統でもあった。 かのチハたんはじめ戦中ロクな話がなかった旧軍戦車だが、技術力はともかく方向性としては先進的だった部分もあったのである。 まあこのエンジン明らかに戦中のディーゼルの進化型ではないっぽいんだけど…… 出力も570馬力となかなかに良好で、戦車の機動性に大きくかかわってくる「出力重量比(*1)」も約16.3馬力と十分なレベルを持つ。 最高速度は45km/hと特に速くはないものの、加速力がかなり高めなのがセールスポイント。 そして車体後ろの方についている排気ユニットの配置・形状は完璧なまでにおとーさんそっくりであり、旧軍戦車ファンならうれしくなること請け合い。 さらに試作段階では履帯やトランスミッション関係まで旧軍系の機構も使用していたが、性能不足だったため量産型ではアメリカ系のそれが採用されている。 ……がしかし、このアメリカ系のトランスミッションは時代から考えるとやや旧式……というかもちっと軽めの戦車に適したもので、35tの重量を持つ61式戦車(三菱)にはちと厳しい形式だった。 加えて 内部の配置が古めかしいリアエンジン・フロントドライブ式(エンジンを後ろに、駆動系を前に置く配置)でエンジン←→操縦系の距離が遠い 縦(車高)と横(車幅)を抑えた分、前後(車体長)が伸びてエンジンとの距離がさらに遠く 操縦操作を機械力でアシストするサーボなどが搭載されていない チトにはあったのに…… まさかのノンシンクロギア シャーマンはシンクロメッシュギアだったのに…… 等と言った諸々の条件が重なったことで、クラッチ(ギアチェンジ)操作性が控えめにいってもクソカスレベルで劣悪になってしまい、 ●・クラッチレバーがくっそ激烈に重く、ギアがガリガリ鳴る ●・重すぎて途中で手を放すと強烈なカウンターブロウがくる ●・操作するだけで掌が内出血、手首に当たって骨にヒビ、指に当たって骨折、手を擦って皮膚を持ってかれるなど、しょっちゅう操縦士を負傷させる ●・挙句隊員から「世界一運転の難しい戦車」呼ばわりされる ●・演習で協同する歩兵科で「(止まれないで突っ込んでくるから)61式に近づくな!」が合言葉になる ●・かの世界的F1ドライバーナカジマ中嶋悟ですら、初回の1発目では動かせなかった(*2) などといった数々の伝説を築き上げることになった。 また各部の機械的信頼性もお世辞にも高いとは言えず、演習などではシャーマンやM41軽戦車ウォーカー・ブルドッグといった米国供与の中古の戦車よりも先に故障、脱落してしまうことも少なくなかった。 そして直接的な操縦性とはちょっと違うが、発熱量の高いギアボックスとプロペラシャフト(エンジンとギアを繋ぐ回転軸)が近くにあるため操縦士席がクソ暑く、操縦士はしょっちゅう熱中症になったという。 操縦士に優しくない戦車選手権を開催したらKV-1あたりとトップを争えそう。 「攻」 こちらはもろにおかーさん(アメリカ)側の直系な部分。 主砲はアメリカ製の90mm戦車砲「M3」(パーシングとかに搭載されていたもの)にちょっぴり改修を加えた「61式52口径90mm戦車砲」を搭載。砲弾もM3系列と同じものを使用可能である。 しかし何と言っても特徴的なのはT字型のマズルブレーキ(発射の反動を横に逃がし、砲の負担を軽減するための装置)で、怪獣映画とかでもよく知られた61式のチャームポイントと言える。 装甲貫徹力は公表されていないが、開発時の仮制式要綱によれば、M318徹甲弾を使用した場合の初速は約910m/sとされている。 これはM3系列の改良型である「M36」(*3)とほぼ同レベル(あっちは914m/s)の弾速なので、必然的に貫通力も同程度、具体的は距離1000mで約180~190mmぐらいだと思われる。 これよりも威力も貫通力も高い口径100mm越えの戦車砲が世界的に普及しつつあったこと、また仮想敵国であるソ連の戦後戦車の大半が200mmを越える正面装甲を持っていたことを考えると、ちょいと力不足ではあったことは否めない。 もっとも有事の際にアメリカから供与される予定になっていたM431対戦車榴弾を使えば、同条件で約320mmの装甲を貫通可能となり、ソ連の最新型戦車に対しても充分に有効打を与えられるはずだった。 また旧軍戦車にはなかった装備として、これまたおかーさん譲りの光学式ステレオ測距儀「61式車上1m測遠機」を搭載している。 これは人間の目の「立体視」の機能を利用した距離測定用の望遠鏡で、二つのレンズを使って三角法の要領で目標との正確な距離を図ることができる。 近距離戦ではあまり効果はないが、2000mを越えるような遠距離戦だと非常に有効な装備となる。 そして装填速度に病的な執着を見せた旧軍の伝統故か、あるいは設計の参考にしたM36の遺伝子を受け継いだか、砲塔後部のバスル(張り出し)に大型の即応弾薬庫を持ち、このクラスの手動装填砲としては連射速度がかなり速めなのも特長。 「守」 一見おかーさん似だが、その実濃厚なおとーさん成分を含んだ部分。 旧軍戦車といったら、メリハリの少ないぬぼっとした体形、ペーパークラフトめいたカクカクライン、要所要所で主張する野暮ったいボルトなど、全体的にもっさ……男らしいフォルムが特徴的だった。 それに対して61式は、傾斜した一枚装甲でスマートにまとめられた車体正面、丸っこい曲面構成の鋳造砲塔、かまぼこを張り付けたような厚い防盾(主砲の周りの開口部を隠すための外付け装甲)など、完全にアメリカ戦車寄りのビジュアルとなっている。 しかしその装甲厚は紛れもない旧軍戦車のそれで、まあようするに大和魂で敵弾を防ぐタイプ(暗喩)の装甲である。 正確な装甲厚スペックは非公開だが、試作機のデータから判断すると 砲塔全周 40~60mm 砲塔防盾 120mm前後 車体正面上部 90mm前後(実厚40~50mmの55度傾斜) 程度だと想定される。 旧軍戦車と違って傾斜と曲面を多用して避弾経始に気を使っているのは評価点だが、正面のほとんどが100mm未満程度の装甲では、戦後戦車の攻撃に対してはやはり厳しい。 同時期のソ連の戦車を例に出すと、IS-3やT-10、T-54やT-62などの砲に対してはほぼ無力で、戦中戦車であるT-34/85の一般的な徹甲弾が、それも防盾に当たってくれればなんとか……ぐらいの防御力である。 だが実は時代的に考えるとこの装甲は極端に薄いというほどでもなく、当時の西側諸国には同レベルのペラペラ戦車も決して少なくない(おフランスのAMX-30とか西ドイツのレオパルド1とか)。 というか当時の35~50tクラスの戦車は 敵戦車との殴りあいが前提の、重火力・重装甲の重戦車タイプ 真っ向勝負は不可能とみて、装甲を捨て火力・機動性・NBC防護に傾斜した駆逐戦車タイプ のどちらかに寄ってることが多く、前者の装甲はそれこそ250mmとか300mmみたいな数値が平気で並ぶが、後者の場合は最大実効厚でも100mmとか150mm程度なことも珍しくなかった。 そう考えると61式の装甲も相対的にはそれほど薄くもない……という言い方もまあできなくはないかも。 ただまあ車体正面にボルト止めのクソデカメンテナンスハッチがあるのはだいぶよろしくないし、あとバスルの即応弾薬庫も防御面では気になるし、乗員の3/4が一列で並んでるから敵弾が入ってきたらだんご3兄弟(直喩)だし、NBC防護がろくに考慮されていないのも地勢的・時勢的に怖いし……と、残念ながら防御面では困った箇所がいっぱいである。 【61式戦車(第1世代MBT)の開発経緯】 戦後日本で「国産戦車を作ろう!」という動きが具体化し始めたのは、(諸説あるが)1953年の後半ぐらいとされている。 ちなみに当時の情勢を簡易年表で表すと 1950年 ・朝鮮戦争勃発。北朝鮮軍(&中国の人民解放軍)のT-34/85と、アメリカ軍のシャーマン、チャーフィー、パーシングなどが交戦 ・日本と西ドイツの再武装が許可され、自衛隊の原型となる「警察予備隊」が設立。年末からチャーフィーが配備開始。 1952年 ・日本の主権復活。警察予備隊改め「保安隊」に。中期型シャーマン(M4E3A8)が配備開始。 ・アメリカが世界初の水爆実験成功 1953年 ・朝鮮戦争停戦。 ・ソ連が水爆実験成功 1954年 ・保安隊改め「自衛隊」に。 1956年 ・ハンガリー動乱でソ連のT-54が実戦投入 といった感じ。 水爆の実用化によって国際関係がオワタ式となり、にも拘わらず米ソ間での代理戦争は本格化していき、しかし日本はその余波(朝鮮戦争の特需)で戦後復興に弾みもつきつつあった……所謂「冷戦」の時代の真っただ中である。 必然、戦後復興に無我夢中だった日本でも「国防」という要素が大きくクローズアップされるようになり、60式自走106mm無反動砲に64式81mm迫撃砲、64式7.62mm小銃に62式7.62mm言うこと機関銃と、各種兵器の本格的な国産化計画が次々と始まっていった。 そんな中で戦後日本初の戦車として「新中特車(当時の「保安隊」は軍隊ではなく戦車と言う言葉が使えなかったので「特車」と呼んでいた)」の開発計画がスタートしたのだが、しかしこの計画に関する関係各位からの意見が 「目指せ世界最強!具体的にはソ連のIS-3重戦車と正面から殴りあって勝てるぐらいの性能にしたい!!」 「いやウチの技術じゃまだ早いやろ国産は……当面はアメリカさんからもらえる戦車でええんちゃう?」 「新中戦車には75mm長砲身砲搭載の20~25t戦車を中核に、さらに火力の高い重戦車と組み合わせることで火力を補い、また両車は生産・整備を考慮しファミリー化されるべきである」 「戦後復興もまだ全然なのにそんな金出せるかバーーーカ!どうしても作りたいんならせめて軽戦車にしろや!」 「火力!火力!防御力や機動力は練度と戦術で補えるからとにかく火力を!!!!貫通力を!!!!」 「我国の地勢及び交通状況一般を考慮すれば、新特車の重量は全備15t以内に抑えなければ十分な機動性を発揮できないものと考えられる」 「旧軍戦車みてーなペラペラ+クソでか図体の戦車とかよう使わんわ!装甲か車高かどっちかだけでもなんとかせい!」 「そもそも対戦車兵器が発達しまくってるし、将来的には戦車自体が不要になるんじゃない?いらんだろ戦車」 などと見事なまでにバラッバラであり、必然的に要求性能も二転三転し、まとまるのには結構な時間を要した。 しかし最終的には「もっと軽く!軽く!あと安く!」という根強い軽量戦車推し派の意見を抑えつつ、1955年末に ●・重量35t以内、全高2.5m以内、全幅2.95m以内、全長なるべく6.65m以内 ●・主砲は90mm長砲身砲を全周砲塔に搭載、複武装として7.62mm機関銃1丁、12.7mm機関銃1丁 ●・装甲は1000mで57mm戦車砲、できれば75mm戦車砲の直撃に耐えられるレベル ●・600馬力ディーゼルエンジン搭載、最大速度45km/h、航続距離200km以上、信地旋回(片方の履帯を止めて片方だけを動かすその場旋回)ができること という要求仕様が完成した。 ちょっと解説を挟むと、まず車幅制限がえらくキツい(重量19tのチャーフィーより狭い!)が、これは当時の日本本土のインフラ事情を考慮し、貨物列車でどこへでも運べるようにしたかったため。 ただし法律上はともかく、物理的な条件からするとこの制限はちと過剰であり(*4)、61式の性能を大きく制限する枷となってしまった。 また主砲が90mm止まりなのにも物言いが多かったが、最終的には「多分アメリカさんがこれから90mm用の強力な砲弾を開発すると思うし、あわよくば新型の90mm砲を作ったりするかもだから……(*5)」とアメリカさんのケツ持ちを期待する形で決着した。 防御性能に関しては、現用ソ連戦車の砲、つまりT-10やIS-3の122mm砲、T-54の100mm砲、T-34-85の85mm砲などに対して力不足なのは明らかだったが、 対戦車兵器の急速な進化で、どんなに厚い装甲もその内無力化されるはず これからの戦争でガンガン使われるだろう核兵器に対しては、装甲の厚さは防御手段にならないはず といった予測が、当時は日本のみならず西側諸国で広く共有されており、また現実問題として車幅と重量の制限を考えるとこの装甲厚でも既にギリギリだったため、最終的には妥協する形でこうなった。 ……とまあそんな感じでようやく始まった61式戦車(実在)の開発だが、何しろ日本にとって10年ぶりの戦車開発であり、その過程は草創期ならではのライブ感にあふれる、トライアンドエラーの繰り返しとなった。 試作機は合計4タイプ作られた。 まず第1次試験での2タイプ。 ▽ST-A1(試作1号機) 最初の試作機なのだが、 車高を下げるために、当時プチ流行しつつあったケツデカ車体(車両の前半分が沈み込んだような変則的形状の車体)を採用 同じく車高を下げるため、さらに車体を前後に引き延ばし、全高2.2mという驚愕の低車高を実現 旧軍戦車で切望されたが挫折した「トルクコンバータ」を採用してオートマ化 トルコンの採用に合わせて、アメリカの軽自走砲などに採用実績のあるクロスドライブ系の「ポンティアック式」トランスミッションを搭載 機械的にレバー操作をアシストして、操縦士の負担を軽減する装置を搭載 と言った感じで、内容的にはむしろ一番冒険してるロックな一番手。 しかし大冒険のせいか性能的にはあちこちが不安定で、また車体が前後に長すぎたせいで旋回性能が超悪化してしまった。 でかいケツのおかげで後方の俯角が制限されるのにも不評の声が大きく、最終的には後述のA2との競合に敗れる。 ▽ST-A2(試作2号機) A1と並行して開発された試作2号機。 お兄ちゃんと違ってこちらは普通の車体をしていたため、あちらのような問題がなく評価が高かった優等生二番手。 最初A1との違いは最初は車体の形だけだったが、憧れだったトルクコンバータがどうにも不調だった(*6)ため、トランスミッションを旧軍で慣れ親しんだクラッチ・ブレーキ式、それも四式中戦車チトのそれをほぼそのままで流用した「チト式」へと換装した。 しかし、いずれも性能が要求水準に満たなかった。 よって1958年から、前試作2タイプで得られたデータを反映しつつ、以下の2タイプの試作機が製造される。 ▽ST-A3(試作3号機) 第1次試験で得られた経験を各所に反映させた試作3号機。 まず迷走気味だったトランスミッション系を、アメリカ等で採用実績豊富な「二重差動クレトラック式」へと手堅く変更。 さらに61式用に開発されていた新型の空冷ディーゼル(試作1・2号機は船舶用の水冷ディーゼルを流用していた)がようやく完成したため、出力も1割以上向上し、機動性に関しては大きく進歩した。 また開発が長引いただけあって構造も最適化され重量に余裕ができたたため、ソ連の75mm砲に対してなら充分なレベルの装甲へと増厚された。 そして火力面ではちょっと冒険して、即応弾薬庫から自動で弾薬を取り出してくれる電動式の装填補助装置を搭載している。 加えて火力と言うかビジュアル面での重要なポイントとして、例のT字型のマズルブレーキがついに搭載されている。 ▽ST-A4(試作4号機) A3と並行して開発された試作4号機。 基本構造はお兄ちゃんのA3とほぼ一緒だが、大戦時にチリの半自動装填装置がいつまでたっても完成しなくて痛い目みたせいか、保険として装填補助装置の搭載を見送った(なので完成もA3よりちょっと早かった)タイプがこちらになる。 またお兄ちゃんよりさらにアメリカかぶれで、当時のアメリカ戦車界でバズっていた「車長用キューポラと一体化した全周機銃塔」を装備している。 単純な性能面では装填補助装置があるST-A3の方が優位だったのだが、装置の信頼性やコスト上の観点から、最終的には試作4号機ことST-A4が制式採用された。 量産型より試作型が強いってのもガンダム感ある。 そしてST-A4にキューポラや機銃のマウント方式などの小さな改修を施したのちの1961年、ついに戦後日本初の国産戦車「61式戦車」が完成したのだった。 【61式戦車(4人乗りの方)の活躍】 無事完成した61式戦車だったが、しかし戦後日本は外交の舵取りを誤らず、幸か不幸か、戦車が活躍するような事態がそもそも訪れなかった。 そして61式は実戦に参加する機会もないままに、後継の74式戦車の制式採用と同時に総生産数560両で生産を停止。 最終的には更なる後継の90式の配備と共に退役が始まって、制式採用から39年後の2000年、ついに全車が退役を完了したのであった。 よって61式戦車の「活躍」と言えば、まあ率直に言えば「そんなのなかった」ことになるわけだが、しかしそれは必ずしも「役立たずだった」とか「税金の無駄だった」とか「所詮チハたんの子孫に過ぎなかった」とか「ドップと設計してマゼラアタックにした方がよかった」ことを意味するわけではない。 確かに61式は実戦の経験もなかったし、カタログスペックで言っても先進国の同時代・同クラスの戦車達には一歩も二歩も劣っていた。 しかしそれは逆に「一歩か二歩の距離まで迫れた」とも言い得るわけで、そのレベルのれっきとした「主力戦車」を、曲がりなりにも自国の力で作り得たという点が重要なのである。 これによって現代戦車開発の「ノウハウ」、さらに「自信」と「実績」を得たことで、その後の74式、90式、10式と続く国産戦車ツリーが形成されたことを考えると、その歴史的意義は非常に大きかったと言っていいだろう。 また列強の同期戦車に比較すれば性能で劣るとは言え、それはかつての「チハたんVSシャーマン」ほどの絶望的格差マッチの発生を意味していたわけでもなかった。 防御力はまあそのアレとしても、攻撃力、即ち主砲である61式90mm砲の威力は、T-54やIS-3といった重装甲のソ連戦車にとっても決して無視できる代物ではない。 実際、ほぼ同レベルの砲であるM36はT-54を標的とした射撃実験の対象にされたことがあるが、それによればM318A1徹甲弾で車体前面(傾斜角60度の約100mm厚)は貫通不能だが、砲塔前面(約200mm厚)は距離350mで貫通可能と判定されている。 遠距離正面からは流石に厳しいとしても、近距離や側面から急所に当てられれば充分致命傷にもなりうるし、アメリカから貰える(はずの)HEATを使えば主要部の貫通すら可能なのだ(*7)。 実際、中東戦争においてM3系の90mm砲がソ連のT-54やIS-3を多数撃破している事例もあるし、「不利なのは間違いないが、地の利や戦術でなんとかカバーができなくもないかも」なラインには留まれていたと言える。 え?複合装甲持ちのT-64が出てきたらどうすんだって?こんな重要度の低い&海を越えてこなきゃいけない戦線には多分きっと来ないから大丈夫だよ!!!(上層部談) ……とはいえ、当時の国際社会の緊迫した情勢を考えれば、自衛隊にとっては「いざという時、相手に劣る戦車で戦わねばならない」という状況は決して望ましいことではなく、後継機であるST-B1こと74式戦車の開発・配備が急ピッチで行われていたのも事実ではある。 【フィクションでの61式戦車(ガンダムじゃない方)】 ・映画 前述のとおり実戦での活躍はなかった61式だが、しかしある程度年齢がいった人に「戦車を描いてみて!」と言ってみたら 先っぽがT字型の主砲 布でくるまれた防盾 バスルがぐいっと張り出した砲塔 車体正面は傾斜した1枚板 高射砲かよってレベルで仰角を取れる主砲 などといった感じの絵が出てくることは決して少なくないはず。多分。 なぜなら61式戦車が現役を張っていた1960年代と言えば、1954年の『ゴジラ』を皮切りに、1961年の『モスラ』、そして1966年の『ウルトラマン』と言った特撮映画が続々と生まれていた、まさに「特撮の黄金時代」だったからである。 そして61式戦車は当時の最新戦車としてそれらの映画に出まくった常連であり、古い言い方をすれば「銀幕のスター」だったのだ。 まあ踏まれたり投げられたり溶かされたり爆破されたりするのが主な仕事なんだけども。 しかし1960年代と言えば、戦前の反動でまだまだ社会全体の「軍隊」への嫌悪感が強かった時代。 自衛隊が広報活動の一環として映画協力を本格的に始めたのも実はこのあたりなのだが、当時は野党やマスコミからの批判も大きく、何なら自衛隊自身すら(特に陸自)その手の活動には及び腰だった。(*8) なので61式の実車が映画協力などで使われるようになるのは実は80~90年代ぐらいからで、特撮における全盛期とはちょっと差があったりする。 非常に多くの作品に登場しているので、本項目ですべてを網羅するのは難しいが、代表的なところで 『モスラ対ゴジラ』(1964) ゴジラシリーズにおいてはじめて61式戦車が登場した記念すべき作品。 シリーズ初登場故か、終盤でのゴジラ迎撃時にはそれなりに尺をもらってアップシーンが写されるという好待遇?を受けたが、まあ例によって砲撃が効いてる様子はなさそうである。 2度目の登場ではお待ちかね?の「斬られ役」としてのシーンがあるが、ここも初登場故の優遇なのか、放射火炎を喰らって即爆発ではなく、炎でどろどろに熔けていくという手の込んだやられ方を見せてくれる。 撮影に使われた61式のミニチュアは、 1.相原模型製作所の金属製1/15ラジコン 2.日本ホビー工業の1/20プラモデル 3.造形スタッフがM24の1/15ラジコンモデルを改造し、1の砲塔をかぶせる形で作ったツギハギタイプ の3タイプ。ちなみにこの中で純正の「61式」はタイプ2のみで、1は製品名こそ61式だが実際には試作機の「ST-A4」の外形(キューポラが兼機銃搭になっている)だし、3はよく見れば転輪が5個しかなくてアス比もちょっとおかしいのもわかる。 まあ設定的には「自衛隊」の「61式戦車」じゃなくて、あくまで「警備隊」の「特車」だからね!セーフだね! 『ゴジラ』(1984) ゴジラシリーズでは初めて実車の61式(あとついでに74式も)が登場した作品。 またこの作品から自衛隊の名称が使われ出したため、名実ともに「自衛隊」の「61式戦車」として登場できることになった。めでたい。 中盤にゴジラ上陸阻止のため自衛隊部隊が晴海へと向かうシーンで登場するが、なぜかその後の埠頭にずらりと並んだ迎撃部隊の中には61式の姿はない。 なので74式と違ってミニチュアでの登場は無し。 ちなみに移動中のアップ時などに明らかに実車の撮り起こし映像が使われているが、不思議なことにクレジットに「撮影協力:防衛庁」の文字はない。 公式でも「ゴジラシリーズで自衛隊の協力が始まったのは次のVSビオランテから」ということになっている。どういうことなの? 『怪獣大戦争』 61式戦車の【勝利】が見られる貴重な作品。 終盤にX星人の地球基地攻撃に参加し、砲撃を加えて地球基地を完全に粉砕した。 伊福部音楽の中でも特に人気の高い「怪獣大戦争マーチ」の流れる中で砲撃をおこなう61式戦車の勇姿は最高にかっこういい。 『ゴジラVSビオランテ』(1989) ゴジラシリーズで初めて「撮影協力:防衛庁」となった作品。 よって堂々と61式の実車が登場するが、1984同様、移動シーンと整列シーンのみで戦闘シーンは無し。ちょっと残念。 『ゴジラVSキングギドラ』(1991) 序盤で未来人のUFOを囲む自衛隊部隊としてちょっぴり登場するが、戦闘シーンがあるのは後半の札幌ゴジラ迎撃戦。 しかし戦闘シーンとはいっても、92式メーサービーム戦車のオトモとしているだけで、何故か一発も撃っていないといういるだけ参戦状態。 ……なのにゴジラが熱戦を撃った時にはしっかり爆発するところが写されるという、まさしくやられ役の面目躍如といった活躍ぶり?を見せてくれる。 『ゴジラVSモスラ』(1992) この作品からミニチュア主体の登場に逆戻り。 また、同作以降の平成ゴジラシリーズでは、61式戦車の車体に74式戦車の砲塔を乗せた改造ミニチュアも用いられている。『モスラ対ゴジラ』から28年、今度は61式の方が改造元として使われるようになったわけである。 後にこの改造品は、最後には破壊されることを前提に旧式化した61式を改造した「61式改戦車」という怪獣足止め用の無人戦車である、と設定された。 ゴジラやバトラを迎え撃ち、設定通り盛大に吹き飛ばされている。 『ウルトラマン』(1966)、『ウルトラセブン』(1967)など 実は初期のウルトラシリーズにも結構登場している(ブルトン回とかが有名)のだが、ゴジラシリーズ以上に自衛隊周りの設定があいまいなため、「自衛隊」の「61式戦車」として登場したことは一度もない。 ミニチュアは基本ゴジラシリーズのそれの使いまわしのようで、おなじみ相原の1/15や、それをM24とニコイチしたモスゴジ61式などがよく登場する。また時にはいろんなモデルをツギハギした奇怪なモデルが出てきたりと、そういう目線で見ると意外とおもしろい発見があるかも? 『大怪獣ガメラ』(1965) ゴジラに並ぶ怪獣映画の大御所には、なんと初代から登場している。 劇中では飛行機や船舶などミニチュアも多用されているが、なぜか61式戦車は走行シーンから砲撃シーンまで一切が実車の映像(演習の映像?)の流用となっており、迫力が段違い。 中盤でガメラを退治すべく出撃したが、まあ当然というか砲撃は全然効いていなかった。 しかしガメラ側が別に61式を攻撃しなかったため、ゴジラシリーズとは違って生き残ってただけマシなのかもしれない。 ガメラシリーズが自衛隊に優しいのは初代からの伝統だった……? 『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965) 毎年数本のペースでガンガン特撮映画が生まれていた時代ならではの、ちょっと毛色の変わった特撮作品の一つ。詳細は項目参照。 ストーリー後半、研究所を脱走して日本アルプス付近で自活していたフランケンシュタインを狩り出すために61式が登場するが、落とし穴(フランケンシュタインがイノシシを獲るために仕掛けていた罠)にかかってしまい、遠くから罠を見張っていたフランケンシュタインをがっかりさせた。かわいい。 ミニチュアはおなじみ相原模型製の1/15スケールのヤツ。よって厳密に言うと61式ではなくST-A4である。 『大巨獣ガッパ』(1967) おなじみ東宝でなくて日活が作った珍しい特撮映画。 さらわれた子供を追って日本に上陸したガッパ夫妻を迎撃に向かったが、当然のように熱戦一発であっけなくやられてしまい、モスゴジ同様日本ホビーの1/20モデルが熱線で溶かされた。 しかし数カットしか登場しない割に、なぜかフルスクラッチの1/5自走可能モデルというメチャクチャ豪華なプロップ(でもサイズの割にディティールが甘いような……)も作られており、これは後に東宝で『ウルトラセブン』の恐竜戦車に流用されたことでウルトラマニアにも有名。 ちなみに3台作られたうちの1台はいまだに現存しており、高知県の海洋堂ホビー館四万十で実物を見ることが可能。 ……と言った感じで、60~70年代の特撮映画の常連だった61式戦車。 しかし銀幕の中の61式と言えば、特撮映画に加えてどうしてもはずせない作品があるのをご存じかもしれない。 『戦国自衛隊』(1979) 1979年に公開された、もはや説明不要のSFアクション大作映画。 砲塔側面に「223」というどでかいマーキングを施した61式戦車が登場し、ヘリやジープと並んで隊員たちと共にほぼ映画全編で活躍する。 デカくて目立つためか要所要所で印象的な出番をもらっており、後半のハイライトであるVS武田軍の戦いでも、他の大型兵器が全滅する中、乱戦で消耗していく隊員たちの「最後の砦」として生き残った。 しかしこの戦いで弾薬も切れて燃料もあとわずかとなり、最後は乗員たちの手によって川に沈められるのだが、挿入歌「ENDLESS WAY」と共に、現代(昭和)最後の残り香だった戦車が失われていく、物悲しくも美しい傑作シーンとなっている。 あの沈め方だと浸水でエンストして途中で止まっちゃうと思うけども。 ちなみに作中で登場する戦車は実車ではなく、通称「角川61式」として有名な、実寸大撮影用プロップである。 製造にあたったのは工業機械などを作っていた東京の鈴木技研工業(現在は倒産)で、まだまだ邦画の予算もゴージャスに使われていた時代なだけあってその作り込みはハンパではない。 全体的な構造は、田宮の1/35モデルを忠実にスケールアップ。 フレーム(シャシー)は作り起こしで、エンジンや駆動系・操縦系は既存の川崎製ブルドーザーから取り外したものを組み込み、自走可能。 足回りも作り起こし。実車と同様のトーションバー機構を可能な限り再現し、ちゃんと転輪が地形に合わせて上下動する 砲塔も自力で動力旋回可能で、内部には空砲の発射ギミックが搭載されている。 手すりなどもきちんと強度を確保されており、飾りではなくて普通に使用が可能。 ……と、現代の目でみても普通にハイクオリティな逸品である。 もちろん厳密には実車と違う部分は多々あるので、マニアの目でみれば簡単に判別はできる(キューポラの形がなんかのっぺりしてたり、車体正面のメンテナンスハッチが無いのとかがわかりやすいか)が…… 映画のパンフレット等によれば8000万円の予算がかけられた(現代価格に換算するとその2倍ぐらい?)らしいが、動員人数や制作期間、工費から考えると流石に過大広告だと思われる。でも2~3000万はいってるかも。 90年代初頭ぐらいまでは角川かその関係会社が保有していたようだが、現在は神奈川県の撮影用車両レンタル/車両解体会社である鈴木商店が所有(*9)しており、イベントや撮影などで時々使われている。 2020年にも某youtuberが企画で使用しており、製造後30年以上たった今でもきちんと整備されていて自走も可能なようだ。 大金をかけて作られただけあり、その後も…… 『ぼくらの七日間戦争』(1988) 「ぼくら」シリーズ第一弾の実写映画版。 原作には無い映画オリジナル要素として、子供達が立て籠もった廃工場にどういう訳か放置されていたのが中盤ごろ発見され、 強行突入してきた大人たちを追い払うべく起動、流石に発砲する事は無かったものの、その迫力に驚いた大人たちを蹴散らした。 本職の訓練された人間やプロドライバーですら操縦に難儀するようなものをよくも中学生が動かせたものである。 その後はひとみ(演 宮沢りえ)から「エレーナ」と名付けられ、子供達にチョークで派手な模様が描かれるなど好き放題に乗り回されていた。 何故稼働状態の戦車が廃墟の奥に放って置かれていたのかの説明は特になく、発見した子供達自身も戦車が落っこちている事、延いてはそれが動く事を不思議がっていた。 子供達の一人は「自衛隊が忘れてったんだよ、きっと!」と推測していたが事実なら防衛庁(当時)の役人が大勢首を飛ばした事だろう。 『さとうきび畑の唄』(2003) 第二次大戦末期の「沖縄戦」をテーマにした、明石家さんま主演の特別ドラマ。 角川61式の登場は中盤以降だが、無論「61式」が1945年にあるわけもなく、アメリカ軍戦車の代役としての登場である。 ……いやまあ確かに61式は日本軍系というかアメリカ系のシルエットだけども…… 『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』(2010) 戦前~現代に生きた日系アメリカ人をテーマにした、草彅剛主演の連続ドラマ。 角川61式は第4話で主人公が所属する米陸軍442連隊(日系アメリカ人によって構成された部隊)が、ドイツ戦線で包囲された友軍のテキサス大隊を救出に向かう場面で「ドイツ第17 SS装甲師団」の戦車として登場する。(*10) ……流石に無茶だって!!ドイツ系の戦車と共通点一切ないじゃん!!そもそも丸い砲塔のドイツ戦車自体VII号戦車レーヴェ(計画のみ)ぐらいしかいないじゃん! まあ自走砲じみた高台からの砲撃とかこのドラマの軍事演出は甘めなので突っ込むのは野暮 などといった感じで、映画やあるいはバラエティ、CM、果ては企業イベントなど様々なメディアに顔を出している。 ゲーム 『World of Tanks』 略称WOTことWorld of Tanksには、「Type 61」として無論登場。所属は言うまでもなく日本戦車の中戦車ツリーで、つまりチハたんを開発していくことで入手可能となる。 同格にはT-54やM48A5パットン、センチュリオンMk7に試作型レオパルド1といった強力な戦後戦車がずらりと並ぶのでちょっと見劣りしそうな感じだが、ゲーム上ではちゃんと調整されているので無問題。 最大の長所と呼べるのはtier9MT中最強を誇るDPM(時間あたりダメージ)で、一方的に撃ち込める状況、あるいは同格同士のノーガードでのダメージレースなどでは部類の強さを誇る。ほかの場合は知らない。 もっとも当然装甲はペラペラ、機動性もそこまで高くはなので、その辺の基本性能部分の短所は隠しつつ、長所のDPMを活かせる一方的な状況を作っていく必要がある。 しかしどういうわけか実車に比べて著しくガタイがデカくなってしまっており、隠蔽性(発見されにくさ)が極悪になっているという意味不明な弱点があり、砲性能と微妙に噛み合っていないのが困りもの。 ※ 「追記・修正しろーー!野中ーーー!昭和に戻れるんだ!!!!」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 74式もオナシャス! -- 名無しさん (2023-03-15 08 53 28) この項目だと持ち上げられてるがwotだと61式はかなり弱いと思う -- 名無しさん (2023-03-15 10 26 59) ()内の文言が面白すぎるwww -- 名無しさん (2023-03-15 12 44 09) 名前で言われても何となくしか浮かばないけど色んな映画で溶かされたりしてるって聞けばフォルムが浮かんでくるから凄い -- 名無しさん (2023-03-15 14 38 50) メタルサーガ:初登場は四作目と遅い。五作目ではなぜかイクラの軍艦寿司として賞金首(ボスキャラ)に。いずれもクルマとしての性能は悪くない。なお本舗・メタルマックスでは未登場。 -- 名無しさん (2023-03-16 00 34 31) 『ぼくらの七日間戦争』の61式はきっと『戦国自衛隊』で川に沈めたのを拾って来たんだよ -- 名無しさん (2023-03-17 17 44 00) 記事じゃ「チハたんVSシャーマン」ほどの絶望的格差マッチの発生を意味していたわけではないってあるけど「遠距離正面じゃどうにもならないから側面や近距離から待ち伏せでカバーする」ってまんま新砲塔チハたんがシャーマンに対して取らざるを得なかった戦術なんだよなあ -- 名無しさん (2024-01-27 17 19 42) チハ改だと鋼蚤形弾を使った0距離射撃でもシャーマンの正面を貫けないけど、61式はAPCRかHEAT使えば1000mでもT-54を貫けるもん!アメリカさんがちゃんとくれれば・・・・ -- 名無しさん (2024-02-08 22 06 41) そもそもソ連軍のスチームローラーには遠距離砲戦能力なんて優越してないと話にならないのにそれすらアメリカのお守りが無きゃ厳しいって時点でお察しなのよね。しかも生産時期考えたら実際戦う相手はT-54どころかT-62やT-10M重戦車やらを相手取らなきゃいけんかったんだし大戦時の絶望的格差マッチと殆ど変わらん -- 名無しさん (2024-02-08 22 27 25)
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ここを編集 1995年8月放送。~燃えよ斬鉄剣に続くTVSP第7作。第8作に~トワイライト☆ジェミニの秘密がある。 監督 出崎統 原作 モンキー・パンチ 脚本 柏原寛司、藤田伸三、米村正二 脚本監督 飯岡順一 絵コンテ 出崎統 演出 佐藤真人、松園公 キャラクターデザイン・総作画監督 須藤昌朋 作画監督 高谷浩利、清水義治 メカニックデザイン 高谷浩利 動画チェック 江野沢柚美 美術監督 渋谷幸弘 色指定 伊藤純子 撮影監督 長谷川肇 特殊効果 前川孝、林好美 編集 鶴渕允寿 ネガ編集 鶴渕和子 録音監督 加藤敏 録音技術 室克己 音響効果 糸川幸良 音楽監督 鈴木清司 音楽 大野雄二 アニメーション制作 東京ムービー新社 ■関連タイトル DVD ハリマオの財宝を追え!! ― ルパン三世 ルパン三世 ハリマオの財宝を追え! ― オリジナル・サウンドトラック ルパン三世TVスペシャルBEST オープニング エンディングテーマ・コレクション テーマソングベスト LUPIN The Best リボルテックヤマグチ ルパン三世 フィギュア・ホビー:ルパン三世 原作コミック モンキー・パンチ/ルパン三世 1巻 随時更新! pixivFANBOX アニメ@wiki ご支援お待ちしています! ムック本&画集新刊/個人画集新刊/新作Blu-ray単巻/新作Blu-ray DVD-BOX アニメ原画集全リスト スタッフインタビューwebリンク集 最新登録アイテム Blu-ray 魔女見習いをさがして Blu-ray「どうにかなる日々」Blu-ray Happy-Go-Lucky Edition 初回限定生産 Blu-rayDisc付き 『ラブライブ! スーパースター!!』「始まりは君の空」【みんなで叶える物語盤】 BEM~BECOME HUMAN~豪華版Blu-ray Blu-ray 劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 10th Anniversary Compact Collection Blu-ray ぐらぶるっ! Blu-ray 映画クレヨンしんちゃん 激突! ラクガキングダムとほぼ四人の勇者 Blu-ray CHRONO CROSS 20th Anniversary Live Tour 2019 RADICAL DREAMERS Yasunori Mitsuda Millennial Fair FINAL at NAKANO SUNPLAZA 2020 ゴブリンスレイヤー Blu-ray BOX 初回生産限定 グリザイア ファントムトリガー THE ANIMATION 03[Blu-ray] 特装版 ラブライブ! サンシャイン!! Saint Snow 1st GIG 〜Welcome to Dazzling White Town〜 Blu-ray Memorial BOX ゾンビランドサガ Blu-ray BOX 初回生産限定盤 Blu-ray 思い、思われ、ふり、ふられ 完全生産限定版 Blu-ray Fate/Grand Carnival 1st Season 完全生産限定版 Blu-ray Fate/Grand Carnival 2nd Season 完全生産限定版 Blu-ray ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかIII OVA Blu-ray 映画プリキュアミラクルリープ みんなとの不思議な1日 BD特装版 Blu-ray アズールレーン 三笠大先輩と学ぶ世界の艦船 ぶるーれい Blu-ray 水瀬いのり Inori Minase 5th ANNIVERSARY LIVE Starry Wishes かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~ 22 OVA同梱版 呪術廻戦 公式ファンブック よつばと! 15 監修 庵野秀明・樋口真嗣など 夢のかけら 東宝特撮映画篇 パラレルパラダイス 13 特装版 アイドルマスター ミリオンライブ! Blooming Clover 9 オリジナルCD付き限定版 美樹本晴彦マクロス画集 軌 わだち― 夜ノみつき 10th EUSHULLY WORKS しらこ画集 ILLUSTRATION MAKING VISUAL BOOK カズアキ画集 Kazuaki game artworks ライザのアトリエ2 ~失われた伝承と秘密の妖精~ 公式ビジュアルコレクション ぼくたちは勉強ができない 第21巻 音声ドラマ ミニ画集付き同梱版 あいきょう 荻pote作品集 ヒョーゴノスケ流 イラストの描き方 TVアニメ『くまクマ熊ベアー』オフィシャルファンブック 押井守原作・総監督 西村純二監督作品 『ぶらどらぶ』 解体新書公式コンプリートガイド OCTOPATH TRAVELER Design Works THE ART OF OCTOPATH 2016-2020 おそ松さん 3rd season SPECIAL BOOK 描きたい!!を信じる 少年ジャンプがどうしても伝えたいマンガの描き方 YMO1978-2043 「小冊子・YMO全トラックリスト2021 Amazon限定表紙版」付き To LOVEる -とらぶる- ダークネス FIGURE PHOTOGRAPHY COLLECTION 斉藤朱夏 CALENDAR 2021.4-2022.3 ラブライブ! サンシャイン!! Aqours DOME TOUR COMIC ILLUSTRATION BOOK ラブライブ! サンシャイン!! Aqours COMIC ILLUSTRATION BOOK 2020 Winter イジらないで、長瀞さん 10 特装版 「はたらく細胞」公式アニメ完全ガイド リスアニ! Vol.43.2「アイドルマスター」音楽大全 永久保存版VII アイドルマスター シャイニーカラーズ 3 CD付き特装版 ウルトラマンマックス 15年目の証言録 ウルトラマンZ特写写真集 じじぃ 人生は深いな 冴えない彼女の育てかた 深崎暮人画集 上 Flat. ぷよぷよ アートワークコレクション 古谷静佳1st写真集 re START THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER COLLABORATION! Great Journey ウルトラマンゼロ Blu-ray BOX クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 Blu-ray BOX 初回生産限定版 小林さんちのメイドラゴンBlu-ray BOX ゆゆ式Blu-ray BOX スペシャルプライス版 とーとつにエジプト神 Blu-ray 直球表題ロボットアニメ 全話いっき見ブルーレイ 未来ロボ ダルタニアス 一挙見Blu-ray VOL.1 シュヴァルツェスマーケン 全話見Blu-ray ワールドトリガー一挙見Blu‐ray VOL.1 異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術 魔王プレイボックス 初回生産限定 トータル・イクリプス 全話見Blu-ray Blu-ray Cutie Honey Universe Complete Edition 夜ノヤッターマン 全話いっき見ブルーレイ こみっくがーるず Blu-ray BOX 初回生産限定 Blu-ray 幼女社長 むじなカンパニーセット 初回生産限定 ログ・ホライズン 円卓崩壊 Blu-ray BOX 七つの大罪 憤怒の審判 Blu-ray BOX I Blu-ray 水樹奈々 NANA ACOUSTIC ONLINE 『Dr.STONE』2nd SEASON Blu-ray BOX【初回生産限定版】 魔術士オーフェンはぐれ旅 キムラック編 Blu‐ray BOX 今井麻美 Winter Live「Flow of time」 - 2019.12.26 at EX THEATER ROPPONGI - Blu-ray盤 Blu-ray 仮面ライダーゼロワン ショートアニメ EVERYONE'S DAILY LIFE 仮面ライダー一挙見Blu-ray 1号 2号・V3編 仮面ライダー一挙見Blu-ray X・アマゾン・ストロンガー編 スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1975-1981 スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1982-1986 半妖の夜叉姫 Blu-ray Disc BOX 1 完全生産限定版 裏世界ピクニック Blu-ray BOX上巻 初回生産限定 Levius レビウス Blu-ray BOX【期間限定版】 スーパー戦隊 学研の図鑑 江口寿史美人画集 彼女 アニメディスクガイド80's レコード針の音が聴こえる necomi画集 PHONOGRAPHIC フルーツバスケット アニメ2nd season 高屋奈月 Illustrations 2 彼女、お借りします TVアニメ第1期 公式設定資料集 ドラゴンボール 超戦士シールウエハースZ 超シールガイド ガンダムアーカイヴス『ガンダムビルドシリーズ』編 Angel Beats! 天使画集 Angel Diary PANZER FRAULEIN 野上武志画集 【陸編】 Angel's cage るび様画集 Sweet Dream はすね画集 画集 制服Girl's▼コレクション もりょ作品集 異世界ファンタジーのキャラクターコレクション 劇場版「美少女戦士セーラームーンEternal」公式ビジュアルBOOK アイドルマスター シャイニーカラーズ イラストレーション ワークス VOL.2 Blu-rayDisc付き 八十亀ちゃんかんさつにっき 10 特装版 あんさんぶるスターズ! Ready For Star 2巻 缶バッジ付 Switch エーペックスレジェンズ チャンピオンエディション New ポケモンスナップ -Switch 【PS4】BIOHAZARD VILLAGE PLAMAX 聖戦士ダンバイン サーバイン ノンスケール PS製 組み立て式プラスチックモデル スーパーミニプラ 無敵ロボ トライダーG7 3個入りBOX 魔道祖師 前塵編 完全生産限定版 HGUC 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ Ξガンダム MG 機動戦士ガンダムSEED モビルジン 1/100スケール カンチ 青 ノンスケール ABS&ダイキャスト製 塗装済み完成品 ☆赤ver 魔女の旅々17 ドラマCD付き特装版 クリストファー・ノーランの世界 メイキング・オブ・インターステラー BEYOND TIME AND SPACE 時空を超えて るるぶアズールレーン からかい上手の高木さん15からかいカレンダーカード付き特別版 「武装神姫」原案イラスト集 ALLSTARS 機動戦士ガンダム サンダーボルト 17 キャラクターブック付き限定版 とある科学の超電磁砲T OFFICIAL VISUAL BOOK Aqours 5周年記念アニメーションPV付きシングル「smile smile ship Start!」【BD付】
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登録日:2021/03/19 Fri 12 43 37 更新日:2024/02/04 Sun 09 10 36NEW! 所要時間:約 24 分で読めます ▽タグ一覧 M26 おのれAGF おのれパットン(将軍) アメリカ スーパーパーシング パットン パーシング フルアーマー化 ベストセラー 中戦車 兵器 合理的 戦車 朝鮮戦争 第二次世界大戦 米国面 虎狩り 豹狩り 軍事 重戦車 量産機 M26パーシングとは第二次大戦末期に使用されたアメリカ合衆国の中戦車(試作段階)→重戦車(制式採用後)→中戦車(戦後)である。 初手からややこしいなオイ! 【どんな戦車?】 おそらく「第二次大戦におけるアメリカの戦車」のイメージとしては、「シャーマン!あとシャーマンと・・・シャーマンとなんだっけ?」って人も決して少なくないと思われる。多分。 そんな微妙に影の薄いアメリカ戦車の1つがこのM26パーシングであり、系譜的にはM4中戦車ことシャーマンの後継機にあたる。 つまりシャーマンをザクとするとグフかドムに相当する戦車……のはずだったのだが、実際には様々な事情からザクの次に直でゲルググが来たような感じになってしまった。 いわば遅れてきた主役ってことだな!(好意的な言い方) 「M2中戦車」→「M3リー 中戦車」→「M4 シャーマン中戦車」と設計を継承しつつ続いてきたシリーズをいったんリセットした新規設計の戦車で、その後のアメリカ戦車の基礎構造を作ったという意味での功績も非常に大きい。 だから第二次大戦中には配備がほとんど間に合わなかったことは目をつむってあげよう。 ちなみに当時のアメリカ軍は戦車や自走砲などを型式番号で呼んでいて、公式ペットネーム(愛称)をつけるという習慣がなく、例えばシャーマンという愛称もレンドリース先のイギリスでつけられたものだったりする。 しかしこの戦車からは公式な愛称が用意されることになり、第1次世界大戦時に活躍したアメリカの将軍「ジョン・ジョゼフ・パーシング」にちなんだ愛称が与えられた。 【性能】 「走」 ★ 軽量でコンパクトながら大重量に強く、車高も低くできるトーションバー式サスペンションを採用 ★ 航空機用の星型エンジン(円柱型のエンジン)の転用を前提とした従来戦車と異なり、全高が低いV型エンジンの搭載を前提とした設計 ★ リアエンジン/リアドライブ構造(*1)の採用で、車体底を前後に貫くドライブシャフトが不要に って感じに当時の流行をがっつり取り入れた構造になっており、チョロQめいたずんぐり体形のシャーマンと違って、かなり近代的な戦車っぽいフォルムになっている。 採用されたV型エンジンはフォード社の「GAA」シリーズの水冷8気筒エンジンだが、実はこれ新型ではなくシャーマン系の中期型(ジャンボとかイージーエイトとかのA3系列)に搭載されていたものをちょっといじっただけの物で、出力がギリギリ500馬力ぐらいしかない。 これに対して戦車の重量は42t近くあるため、全開状態でも出力重量比(1tあたりのエンジン出力)は11馬力強とかなり低い。中期型シャーマンの2/3ぐらいしかないぞコレ! 一応最高速度は48km/hと充分出るのだが、加速性能や登攀性能(坂道などを登る力)にはけっこう問題がのこった。 とまあ機動性に関する限り、残念ながら中期型シャーマン以下と言わざるを得ない感じになっている。 まあ「重戦車」だもんね!仕方ないよね! しかしなによりの特長といえるのは、いわゆる「パワーパック」システムの採用である。 これはエンジンやトランスミッション、走向機にブレーキなど、要するに駆動系全部を1つにまとめてモジュール化したシステムのこと。 実は戦車の中で最も損傷・損耗しやすい部位は、何十トンという大重量を受け止めつつ動き続けるこの駆動系なのだが、これは精密・複雑な上に分解がしにくく、現場での修理というのが非常に難しい。 というかぶっちゃけ、ここが壊れた戦車はその時点で解体整備が可能な後方へ送られるのが確定なぐらいの厄介なシロモノなんである。 しかし駆動系を1まとめにしてモジュール化したことで、もし駆動系が壊れた場合でもモジュールごと取り替えることで即座に前線復帰が可能となり、稼働率の維持という点においてけた違いの性能を誇ることになった。 いかにもアメリカらしい合理性を追求したこのシステムは、後に世界各国で多くの戦車に採用されることになる。 ただし他国でも同種の発想が無かったという訳では無く、ドイツはEシリーズでパワーパックを導入する構想を立てていた。 ちなみに試作車の段階では、ドイツのポルシェティーガーなどと同じ「ガス・エレクトリック型電気式トランスミッション」、つまりエンジンで生まれた力を電力に変換してモーターを回す、今でいうハイブリッド車のスタイルを取っていたが、信頼性に問題があったため最終的には従来の駆動系に戻されている。 「攻」 主砲として選ばれたのは、「M36戦車駆逐車」などに搭載実績のあった「50口径90mm砲 M3」(資料によっては52or53口径とされることもあるが、これは表記方法の違いによるもの)。 これはティーガーの8.8cm砲(アハト・アハト)やセモヴェンテ M41 da 90/53と同じく原型は高射砲(90mm高射砲 M1/M2)として開発された砲で、強烈な初速による優れた徹甲弾貫通力と、大口径による高い榴弾威力を両立させている。 この後長きにわたって改良を重ねながらアメリカ戦車の主砲を務めることになる傑作砲で、陸上自衛隊の61式戦車が装備する61式90mm戦車砲もこれを参考にして開発されている。 いわば「通常弾」にあたるM77徹甲弾を使用した時、その貫通力は1000mの距離で約140mmの装甲板を貫くことができた。 これはティーガーIの正面装甲をほぼどこでも貫通可能なレベルだが、より堅固なパンターやティーガーIIなどに対してはちと不足しており、そのために同条件で約240mmの貫通力を誇るM304高速徹甲弾も開発されていたが、弾芯の材料であるタングステンが不足気味だったためかなり希少な砲弾だった。 副武装としては、7.62mm機関銃M1919を砲塔の同軸機銃として1挺、車体機銃として1挺搭載。 さらに車長が操作できる旋回機銃として12.7mm機関銃M2を砲塔上に1挺搭載している。 「守」 メイン防御面である砲塔正面は厚さ101mm。さらにその大部分には厚さ114mmの防盾が重なっていて、おまけに全体が曲面を多用した良質な鋳造構造のため、実質的に200mm~240mm厚ぐらいの強力な防御部位となっている。 車体正面装甲も砲塔と同じ厚さの上、T-34のような傾斜がかかっているため、水平方向からの砲撃に対する実効厚は140mm近くになる。 大雑把にドイツ戦車と比較するならパンター以上ティーガーII以下と言ったところで、「重戦車」の名に恥じない強固な装甲を持っていると言えるだろう。 また他国の戦車は技術力や資源の不足などから、装甲強度の「額面割れ」が少なくなかったのだが、流石にアメリカというべきかその品質管理能力は圧倒的で、実戦での防御力はさらに上と言ってもいい。 ただし当時の技術では、鋳造された装甲は(ドイツ戦車などで使われている)均質圧延装甲よりも1割程度(技術が未熟な日本]製とかだと2割以上)耐弾性が劣るとされているため、その辺は数値的に多少割り引く必要がある。 またシャーマン乗りの死因の大半を占めていた「弾薬庫引火による爆死or焼死」への対策として、車内側面の弾薬庫が廃止され、中央の砲塔直下に集中配置される形となっている。 ただしその結果搭載弾数が少なくなってしまった(*2)ため、容量節約として湿式弾薬庫(*3)を廃止しており、弾薬庫にもらってしまった場合の危険度がちょっと高いのは否めない。 とはいえ砲塔バスケット(車長・砲手・装填手などの席を砲塔側に固定し、連動して旋回させるシステム)が廃止されていることもあって、弾薬庫自体は意外にコンパクトにまとめられている。 【開発経緯】 M26パーシングの原点は、M4シャーマンの量産が開始された直後に始まった後継機開発計画、通称「M4X」に遡る。 これは既存の技術と保守的な設計で「手堅く」作られたシャーマンと異なり、最新技術を惜しみなく投じた新機軸戦車の開発計画で、約半年をかけて「T20中戦車」を始めとするいくつかの試作車を送り出した。 このT20系列の試作中戦車群こそがパーシングの直系の先祖にあたり、RR駆動、トーションバーサスペンション、パワーパックシステムなど、後のパーシングの構成要素の殆どがこの時点で検証・実用化されている。 この一連の試作機の中では、最終的に「T23E3中戦車」(これが電動ハイブリッドなタイプ)が暫定採用と試験量産を勝ち取ったのだが、軍上層部では ★ 現状、シャーマンは要求に対して充分な性能を持っており、性急な更新の必要性が薄い ★ そもそもT23E3はシャーマンとの性能差がそれほど大きくなく、多大なコストをかけて更新するほどの価値がない ★ やっぱまだ電気式トランスミッションは信頼性がちょっと…… ★ ペロペロシコシコナンバーワン などの声が大きく、結局M4X計画自体が停止、T23E3の量産もお流れになってしまった。 ……のだが、時は既に1943年も半ば。既にアメリカ軍もティーガーIに遭遇し、東部戦線ではドイツがパンターを実戦に投入し始めた頃である。 これらの強力なドイツ戦車と比べればシャーマンの装甲・火力の見劣りは明らかであり、陸軍兵器局はT23の装甲と火力をさらに強化した「重戦車」の開発を決定する。 しかし軍上層部は全体的に新戦車の導入=シャーマンの更新には相変わらず乗り気ではなく、順調に進む試作機の開発に対して、正式採用と量産化の動きはあんまり進まなかった。 特にこうした新戦車反対意見の中心となったのがAjinomoto General Foods Army Ground Forces、通称AGFこと「アメリカ陸軍・地上軍」である。 このAGFという組織についてちょっと説明しよう。 これはその名の通りアメリカ陸軍の地上部隊(航空部隊以外ってことね)の総管理本部にあたる存在で、1942年に設立された新しい組織だった。 その目的は、大雑把に言えば「アメリカ陸軍を、対ドイツと対日本の両面作戦をできる規模の組織に拡大・整備すること」で、そのために当時37師団に過ぎなかったアメリカ陸軍を、なんと200~350師団に拡大することが求められたのである(*4)。 この急拡大ってレベルじゃねーぞ!な超スケールアップは当然普通のやり方で達成できるようなものではなく、組織の整理や管理法の確立、補給体制の整備、人材の徴兵・教育・配属、装備の開発に調達など、ありとあらゆる分野で必要なものを取捨選択し「最も効率的なやり方で」進めることが必須だった。 AGFはいかにもアメリカらしい周到さと合理的発想でこれを進めていき、非常に充実した成果をあげた。特に兵器(と規格)の統一、及びその生産配分については抜群の有能さを発揮し、アメリカ陸軍の補給能力を凄まじいレベルに持っていった。 第二次大戦で示されたアメリカ軍の圧倒的な物量はとても有名だが、その要因は単純にその背景となる国力が高かったから、だけではない。 国力を軍事力へと変える変換効率が圧倒的に優れていたからこその「大正義アメリカ軍」だったのだ。 しかしそんな効率厨AGFからしてみれば、既に運用体制が確立し、今現在も量産を続けているシャーマンを、それも戦時中の今更新する、というのは効率上ぜんっぜん歓迎できない話だった。 このため ★ 前線に別系統の戦車を混成させることは、補給や人員配置に著しい悪影響をもたらします。新型戦車の投入は非効率です ★ パンター?ティーガー?それらの重戦車は少数であり戦車での交戦機会が少ないと想定されます。新型戦車の投入は非効率です ★ 新型戦車の重量は40tを越えることが予想されますが、それは殆どの港湾施設のクレーンの荷重限界をオーバーし、輸送に著しい悪影響が出ます。新型戦車の投入は非効率です ★ M4に新しく装備された52口径76.2mm戦車砲 M1は914.4m(1000ヤード)で撃角60度の135mm均質圧延装甲を貫徹可能なM93型高速徹甲弾を搭載可能であり、それを使えばM4でもドイツ重戦車に充分に対抗可能です。新型戦車の投入は非効率です ★ そもそも対戦車任務は砲兵科の対戦車車両の任務であり、歩兵支援が任務である機甲科の戦車に対戦車能力は不要です。新型戦車の投入は非効率です などと様々な理由をつけ、後継機の配備を断固として認めようとしなかったんである。 またAGFの他にも、陸軍内には「数の優位」の低下を恐れてシャーマンの更新に消極的な将官も少なくなく、戦車を統括する機甲科は「シャーマンに90mm乗せればよくね?」と要求し、アメリカ陸軍随一の闘将パットン将軍も「M4は必要な性能を満たした戦車であり、更新は不要 ってか3インチ砲もいらんくねコレ重いもん」などと主張していた。 このため前線の戦車兵や一部指揮官からの強い要望にもかかわらず、新型重戦車の量産は宙に浮いた状態になっていたのだが、1944年の末になって起きた「バルジの戦い」の後に状況が一変する。 詳細はファイアフライの項目などに譲るが、この戦いで本国のマスコミが「我が国の戦車兵はドイツ戦車に遥かに劣るザコ戦車での戦いを強いられていますぞーー!」とすっぱ抜いたことで、軍上層部の態度は一転して軟化。 そしてこの機を逃さず兵器局は重戦車の制式化を参謀本部にねじこみ、激論の末「完成している試作重戦車をお試しで少数生産し、とりあえず実戦テスト&調査を行って採用を決める」というご沙汰が下った。 そして開発中だった試作重戦車の中で最も優れていると判断された「T26E3重戦車」が暫定的にほんの250両ほど少数生産(*5)され、そのうちの20両ほどが実戦テスト、作戦名「ゼブラ・ミッション」のためにヨーロッパへと送られることになったのである。1945年、1月のことだった。 【活躍】 こうしてようやく前線へ投入されたT26E3重戦車は、全車が第3機甲師団へ配備されて実戦に参加。 ドイツのエルスドルフでいきなりティーガーIと激突してこれを撃破(ただし先制攻撃でパーシングも1両やられた)するという素敵なデビューを飾る。 そしてその後も各地でIV号戦車、パンターなどを次々と撃破し、期待通りの戦果を挙げることに成功した。 これを受けた陸軍上層部は、ついにT26E3の制式採用を決定。「M26 パーシング重戦車」として量産をスタートしたのである。 しかし時は既に1945年の3月。2か月後にはドイツが降伏してしまったため、パーシングの戦歴は中断、生産も2000両ちょっとの時点で中止されてしまった。 だが第二次大戦終戦から5年後に始まった朝鮮戦争では、国連軍の主力中戦車パーシング(分類が中戦車に戻されていた)としてシャーマン、「M24軽戦車 チャーフィー」などと共に再度実戦に投入される。 北朝鮮軍の完全な奇襲から始まった朝鮮戦争は、周到な準備を整えていた北朝鮮軍に対し、韓国軍がほとんど蹂躙されるような形で敗退を重ねていった。 特にソ連から北朝鮮に貸与されていたT-34-85は、戦車を持たず少数のバズーカ以外にろくな対戦車装備もなかった韓国軍にとって無敵に近く、各地で無双に近い暴れっぷりを見せていた。 しかしパーシングが実戦投入されると、この強弱が一瞬で逆転。火力、装甲共に圧倒的にT-34を上回るパーシングにより、今度はT-34が一方的に蹴散らされることになったのである。 この韓国側が押されまくっていた戦争初期において、敵の突破戦力の中枢であったT-34を叩き潰したパーシングの功績はきわめて大きい……いや、大きかった。 その後国連軍の増援により戦況は折り返し、韓国+国連軍のターン!に入るのだが、ここで ★ 登攀力が足りなくて、朝鮮半島の山がちな地形を登れない ★ 中期型シャーマンのT80履帯を使いまわしているため接地圧が大きく、水田や未舗装路面でよく足を取られる(*6) ★ エンジンの馬力不足で加速が悪く、追撃時や市街地戦で挙動が鈍い ★ トーションバーサスペンションは現場での修理が不可能なので、地雷などで破損すると戦線離脱になってしまう などといった機動面での弱点がモロに露呈してしまう。 いくら強大な火力と装甲を持っていても、追撃戦で他部隊についていけないのでは単なる置き物。 このため国連軍からの評価は急激に低下し、「シャーマンの方がまだマシ」とすら言われるほどの扱いになってしまったのである。 しかしアメリカ軍もパーシングの機動性不足はとっくに認識していたため、開戦後間もなくしてパーシングを基にした新型戦車……のパワーパックをパーシングに乗せ換えた「M46中戦車 パットン」を実戦投入していた。 こちらはパーシングと違ってそれなりの高評価を受けたため、その後配備されていたパーシングも次々とM46へと改造されていくことになった。 もっとも本命である「M48中戦車 パットン(*7)」の開発が進んでいたため、朝鮮戦争終結後はM47(新型砲塔に乗せ換えたM46パットンの改良型)とともにお払い箱にされてしまったが。 ちなみに実現こそしなかったものの、マッカーサーが陸軍省へ要求した警察予備隊向けの供与リストにはM26と後述する派生型のM45も含まれていた。 同リストにおける戦車399両の内、M26は307両(派生型のM45も含めると338両)で、M4(25両)やM24(36両)よりも多く、特車(戦車)部隊の主力となる筈だった。 佐藤大輔の架空戦記『征途』ではM26も供与されていたが、このリストが元ネタになっていたのかも知れない。 【有名な戦い】 「ケルン大聖堂前の戦い」 おそらくパーシング関連……ともしかしたらパンター関連、もしかしてもしかしたら戦車界全体でも最も有名と思われる戦闘。 「滅亡寸前の国の、半壊した街で、荘重なゴシック調の大聖堂を背景に」という、あまりにもラストバトル感にあふれたロケ地からして既に反則気味だが、展開もなかなかにドラマチック。 戦いが起きたのは1945年の3月6日で、ドイツ西部の大都市ケルンにおいて、同市を占領すべく侵攻したアメリカ軍第3機甲師団と、防衛側のドイツ軍との間でおこなわれた。 この時徹底した戦略爆撃を繰り返されたケルンの市街地は既にガレキだらけであり、アメリカ軍はガレキの撤去に苦戦しつつ市中央の大聖堂を目指していた。 そして市街中央を貫く大通りを進んでいた2両のシャーマン(M4A1とM4A3)が大聖堂の手前あたりまで来た時、大量のガレキに道をふさがれてついに立ち往生。 そして彼らが工兵のブルドーザーを呼ぼうとしたまさにその時、前方の高速道路下の影から、待ち伏せていたパンターA型による砲撃を受けたのである。 最初の1撃はシャーマン(M4A1)の防盾に当たって幸運にも弾いたが、続く2発目によってあえなく撃破され、もう1両のM4A3は後退してからくも建物の影に隠れる。 それを見たパンターは高架下を出て前進、大聖堂の脇の十字路で停止してシャーマンの方向に正面を向け、いつでも迎撃できる態勢を敷いた。 動くに動けなくなったシャーマンだったが、しかしこの一連の攻防は、シャーマン隊の後ろにいた通信中隊のカメラマンに撮影されており、彼らは近くにいたロバート・アーリー三等軍曹のパーシング(この時期は正確にはまだT26E3だが)にこれを急報。 アーリー軍曹はこれを確認すると、一つ横に並行する通りを回ってこっそりパンターの横に回り込み、これを側面攻撃することを決断する。 彼が指揮するT26E3、コードネーム「イーグル7」は砲塔を旋回させながら通りを急ぎ前進したが、しかしパンターの乗員は建物の影で目視できなかったにもかかわらず、なぜかこの動きに対応して砲塔を旋回。イーグル7が進む通りへと向けつつあった。 そしてパンターとイーグル7は、わずか110mの道路を挟み、互いに「正面を向き、砲塔を横に向けた」状態、つまり戦車を一番カッコよく見せる構図で向かい合ったのである。ガルパンかよ。 あまりにドラマチックな一瞬だったが、イーグル7の砲手クラレンス・スマイヤー軍曹が、まだ車体が停止してないにもかかわらずに先に発砲(*8)。これがパンター側面中央に見事命中し、装甲を貫通してエンジンルームを破壊する。 これでパンターはほぼ戦闘不能となり、生き残った乗員は脱出。イーグル7はこれに機銃掃射をしつつ続いて2発撃ちこみ、炎上、大破へ追い込んだ。 ……と、映画のラストシーンになりそうな戦いだったが、さらにこの戦いは軍のカメラマンに撮影されていたため映像(しかも動画)で残っており、貴重な資料映像としても価値が高かったりする。 気になる人はようつべとかで探してみよう! 【派生型】 ★ 「T26E4」 火力強化型。 1945年1月にめでたく試験量産が決定したT26E3だったが、実はその時点で既に「あれ?もしかしてこれ火力足りてない・・・?」という認識が持たれていた。 実際、M3ではIV号H型(正面装甲最大80mm)やティーガーI(100mm)ならともかく、パンター(140mm)やヤークトパンター(160mm)、ティーガーII(200mm!)等に対してはちと力不足だった。 そこで火力増強のため、M3の砲身を73口径まで伸ばして砲弾を大きくし、貫通力高めた試作砲「T15」を搭載したのがこのモデルとなる。 初速975m/sの通常徹甲弾M82(T60 APCBC)だと914.4mで205mm、初速が1143m/sに達する高速徹甲弾のM304(T-44 HVAP)だと302mmに達する絶大な貫通力を誇り、ドイツの重戦車群にも余裕で対抗が可能となった。 通常の徹甲弾は8.8cm KwK 43(L71)と同等の貫徹力で、ドイツ製と異なりタングステン使用量が多い高速徹甲弾では完全に上回る程だった。 しかしパーシングはこれほど大型の砲を搭載する設計にはなっていなかったため、 砲の大重量のせいで重心が極端に前のめりになってしまい、バランスを取るために砲塔後部にカウンターウェイトをポン付け 新型砲弾を前後に伸ばす形で強化したため、その長さがなんと1.27mにもなってしまい、やむを得ず弾頭と薬莢を別々に収納する分離式に。 などといった感じでかなり無理やり装備している。 試作機の完成こそ早かったものの量産は戦後となり、合計25両ほど製造されたが、制式化されることはなかった。 ちなみに固定薬莢型も試作はされており、初期試作型のT15E1(採用された分離型はT15E2)、それの直径を太くする代わりに長さを短くしたT54などがあるが、いずれも採用はされなかった。 ★ 「T26E5」 防御強化型。 突撃時の「盾」として前線の戦車兵に大好評だったシャーマンの装甲強化型、通称「シャーマンジャンボ」ことM4A3E2の後継を狙ったモデル。 火力はパーシングそのままだが、各部の装甲が 車体正面装甲140mm→200mm 砲塔正面装甲101mm→190mm 砲塔側面装甲76mm→89mm 防盾装甲114mm→279mm とほとんどヤケクソ気味な超強化を受けている。砲塔正面ならティーガーIIの砲撃すら受け止められるスペックである。 ただし装甲強化の影響で1割ほど重量が増えてしまったにもかかわらず、素パーシングですら力不足なエンジンを使いまわしているため、機動性はかなり悪化した。 一応接地圧対策としてシャーマンジャンボゆずりのダックビル(履帯を広くする装備)が搭載されたのだがはっきり言って焼け石に水で、最大速度も30km/h程度まで下がってしまっている。 こちらも27両ほどが生産されたが、やはり制式化は逃している。 ★ 「T26E1-1 スーパーパーシング」 第3機甲師団の第635戦車駆逐大隊に配備された現地改修型パーシング。車長はジョセフ・マドゥリ二等軍曹。 「ワンオフ」 「最強クラスの性能」 「急遽実戦投入された試作機」 「現地改修型」 「撃破した強敵から回収した装備で強化」 「バランスを無視した無理やりな強化」 など、男の子の心を奪う要素が詰まりに詰まったフルアーマーパーシングである。 T26E1-1というのは↑のT26E4の試作1号機であり、本来なら各種試験に使われるものを評価用に無理やり配備したもの(なので砲は薬莢が分離してないT15E1)。 この試作段階ではまだ小型高性能な平衡機(*9)が完成しておらず、車内に入りきらなかったため外部、つまり砲塔の天井にむき出しでパイプ状の平衡機が取り付けられているのが特徴。 だがそれ以上に目を引くのが、車体前面にゴッテゴテに張り付けられた増加装甲だろう。 これは「よし、T15で火力はティーガーIIに並んだな!次は防御力だ!」という現地部隊の斜め上の発想によって追加装備されたもので、防盾にはパンターの残骸から切り取った80mmの装甲板を、車体正面には建材(ボイラー用だったらしい)の40mm鋼板を二重重ねにしてそれぞれ溶接。正面の大部分が実効300mm近くという、超重装甲戦車へと魔改造されてしまった。 こうして最強の矛と最強の盾を併せ持つことになった、まさにスーパーなパーシングが誕生したのである!!きどう・・・せい・・・? 砲手だったジョン・P・アーウィンの手記によれば幾度か対戦車戦闘を経験し、なんとティーガーIIをも1両撃破した……ということになっているが、専門家の検証によると「超眉唾もの」らしく、実際の活躍についてはいまだにわかってないことが多い。 ★ 「M45重戦車」 主砲を「22.5口径105mm榴弾砲 M4」に換装したアサルトガン(自走砲と突撃砲のハーフのようなもの)で、素パーシングに随伴して近距離火力支援を担当するガンキャノン的存在。 主砲が素パーシングの90mm砲3よりもだいぶ軽くなったので、バランスをとるために砲塔の前側装甲を厚く(前方の防盾は+3.5インチで203.2mm、砲塔正面を+1インチで127mm)を厚く、後ろを軽く(0.5インチ減の63.5mm)したりしてバランスをとっている。 一応制式採用されている(試作段階の名称は「T26E2」)上に朝鮮戦争にも投入されているのだが、生産台数は大戦時に作られた185両にとどまっており、なんか影が薄い。 ★ 「M46中戦車 パットン」 前述したパーシングの後継機にあたる存在だが、パワーパック以外はマイナーチェンジレベルでしかなく、実質的にはアッパーバージョンに近い。 ★ 「M26A1」 主砲だけを小改修した廉価版パットン。 朝鮮戦争勃発によって配備中だったパーシングはパットンに改造されていったが、全車をフル改造できるような予算は充てられなかったため、一部のパーシングは主砲だけをパットン仕様にした半端なパーシング略してパットングになった。 これがM26A1で、主砲がM3からマズルブレーキの強化、排煙装置の装備、スタビライザーの搭載などが施されたM3A1に代わっている。 【フィクション作品】 どっかの紅茶戦車と同じく、どうにもフィクション作品での扱いはよろしくない。ナンデダヨ! やっぱり第二次大戦では出遅れたし、アメリカからはあんまり人気のない朝鮮戦争で活躍した程度というのが問題なのだろうか…… ただし(日本含む)西側では微妙な反面、「敵国」であった北朝鮮や中国では映画作品などで結構出演の機会が多かったりする。 ……主に敵のラスボス役として。西側映画のティーガーだこれ アニメ 『ガールズ&パンツァー 劇場版』 アメリカをイメージしたサンダース大学付属高校が存在するが、使用車両はシャーマン系で統一されていたためなんと出番なし。 全世界のパーシングファンが枕を涙で濡らすことになった……かと思いきや、劇場版で敵役である大学選抜チームの主力戦車としてついに登場。 三副官の乗車をはじめ、戦闘シーンではほぼ出ずっぱりの大活躍であり、画面狭しと暴れまわるパーシングにファンがうれし涙を流したとか流さないとか。 尤も、敵役の宿命とはいえ作中での扱いは専らやられ役である。一応、大洗連合の何れよりも格上の戦車(と乗員)であるため、やられ役と言えども決して弱かった訳ではなく、むしろ一人一人が精鋭と言うべきその手強さを見せている。つまりビルゴIIもしくはGN-X系ってことだな!(前向きな言い方) でも旧砲塔チハにやられたパーシングの乗員は反省しよう!な! なおドラマCDにてサンダースもT26E1を所有している事が言及されている。所有というより、修復不可能と見てジャンクヤードに放置されている状況だが。 ゲーム 『World of Tanks』 言うまでもなくアメリカツリーで登場。区分は重戦車ではなく中戦車で、ティアは8。 名称はM26 Pershingだが、モジュールを開発することで最終的にはT26E4+パットンのパワーパックと足回りという、強化型パットンみたいなパーシング?に進化する。 パーシング同様にこのゲームでは多くの戦車が史実より強力な砲を搭載できるため、実効140mmの車体はスポスポ貫通されてしまうが、200mmを越える砲塔正面はそこそこ頑丈で、頭だけを出したハルダウン(稜線射撃)が得意技。 また非常に小さい照準拡散、優秀な俯角、広めの視界、絶妙な小回りといった「上手く使いこなせれば化ける」要素を多く持っており、とがった長所こそないものの、乗り手の能力を素直に発揮してくれるいい子である。 ちなみに試作機まで含めると膨大なバリエーションを生んだパーシング(T20シリーズ)なだけあり、 T20からM46までだけでも T20(中戦車ツリー・ティア7) T23E3(プレミアム中戦車・ティア7) T25 pilot number 1(プレミアム中戦車・ティア8) T26E3 Eagle7(プレミアム中戦車・ティア7) M46 Patton KR(プレミアム中戦車・ティア8) T26E4 Super Pershing(プレミアム中戦車・ティア8) T26E5(プレミアム重戦車・ティア8) M46 Patton(中戦車ツリー・ティア9) と言った壮絶なラインナップを誇る。君も好きなパーシング(系)に乗ろう! ★ そもそも追記:修正は暇なアニヲタの任務であり、真面目な労働と休養が任務である一般人の追記:修正は不要です。wiki沼への没入は非効率です △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 初っ端から気合入った記事で草。 -- 名無しさん (2021-03-19 13 49 44) 実際パンターやティーガーは元々の生産数が少ない上に稼働率も低かったから戦場全体で見ると遭遇率はツチノコ並に低かったからAGFの言うことは正論なのだが、そのツチノコを引き当ててしまった兵士からすればたまったものでは無かっただろうな... -- 名無しさん (2021-03-19 14 15 50) そんな凶暴なツチノコいねえよ! -- 名無しさん (2021-03-19 16 38 59) タダの誤字だろうけど 200mを越える砲塔正面はそこそこ頑丈 に吹いた。戦艦でも抜けないだろこれw -- 名無しさん (2021-03-19 17 14 51) 朝鮮戦争の事例は考えさせられるものがあるな。戦車戦の放長撃遠に勝ってもそれで終わりじゃないもんね。 -- 名無しさん (2021-03-19 17 26 34) 昔はAGFはひどいやつだなと思ってたけど、今考えるとAGFの言い分も兵士側の言い分もわかってしまうから難しい所だ -- 名無しさん (2021-03-19 20 21 48) なんか例のアレが足りねぇなぁ? -- 名無しさん (2021-03-19 22 19 37) ガルパンのアリサの台詞で「バカでも乗れるくらい操縦が簡単で、バカでも扱えるマニュアル付き」というシャーマン宣伝文があるけど、このパーシングはバカでも扱えるようなものだったんだろうか? -- 名無しさん (2021-03-19 22 45 04) りっく☆じあーすにも擬人化キャラが登場するが、名指ししていないもののガルパン劇場版に言及していたりする -- 名無しさん (2021-03-19 23 28 10) 洗車の歴史も様々だなあ アメリカ戦車って何だか印象薄かったけど実際すごくアメリカらしい戦車に仕上がってるのね -- 名無しさん (2021-03-20 08 39 22) ↑8 ツチノコのポケモンだって凶悪なまひるみ戦法使うんだ、凶暴でもおかしくはない -- 名無しさん (2021-03-20 09 29 45) ちょっと数値関連を修正してくれた人には申し訳ないけど、わかりやすさ優先で(撃角を水平換算にして)ちょっと再修正しますた!申し訳ない! -- 名無しさん (2021-03-22 22 13 49) ツチノコと違って、パンターやティーガーは実在するし、英軍は対処しようとファイヤフライなりチャーチル用意していってるのに、自分らは…て気分にもなるわな パーシングが苦戦する山岳部も、チャーチルなら速度は亀だけどトルク番長で参上してくれるし、なんか微妙な感じ -- 名無しさん (2021-03-29 03 53 46) ビルゴIIもしくはGN-X系というよりゲイオス=グルードかライグ=ゲイオスのような気も… -- 名無しさん (2021-06-09 00 23 04) 名前 コメント
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WWⅡでのソ連は何故歩兵師団の事を狙撃兵師団などど呼称していたのでしょうか? 第二次大戦後にイギリスやアメリカが貸していた艦はちゃんと返却されてたのでしょうか? スターリンってば開戦前に軍の幹部を何千人も粛清しちゃったみたいですけど、何で? 第2次世界大戦中の原爆開発といえば、アメリカ、ドイツとやっていて、日本でも研究してたのは知ってますが、ソビエトはどうだったのでしょう? 第二次大戦後のソ連は、レンドリースの対価をちゃんと支払ったんでしょうか? ドイツがモスクワに迫ったとき、スターリンは以前投獄した将校を大勢連れ戻して戦わせたのですか? ソ連のレンドリースの代金はどうなったのでしょうか? 何故、赤軍はフィンランド軍も倒せないほど弱かったのに大戦後半から急に強くなったんですか? ソビエト軍の懲罰部隊について教えて下さい。 ワルシャワ・パクト側に立った戦記(仮想・ドキュメンタリ問わず)作品はありませんか? ソ連は捕虜になることを認めてなかったんだっけ? 独ソ戦のソ連で「銃は二人に1つ」なんて事があったそうですが開戦当時のソ連は物資が不足していたのでしょうか? 独ソ戦の本にソ連軍の「第○梯団」という記述があるのですが、どのような集団なのでしょうか。 ソ連兵の中には理性を持ったは居なかったのでしょうか? 高度1000メートル前後でパラシュートなしで飛び降りて助かったソ連兵の話って本当なんでしょうか? WW2でソビエト軍の兵士が武器ももたずに赤旗だけ持って突入してますがあれは何を意味するのでしょうか? (ソ連の)政治将校ですが、が部隊長として直接部隊を指揮するわけにはいかないのでしょうか? 太平洋戦争時のソ連極東艦隊(太平洋艦隊?)の規模はどのぐらいだったのでしょうか? 第二次世界大戦で,ソ連軍の死傷者数は1000万超と群を抜いて多いわけですが,どうしてでしょうか? シベリヤに抑留された枢軸国捕虜が強制された無償労働は、ソ連にどれぐらいの経済効果を与えたのでしょうか? ソ連が、占領した国の国民の大半を追放か殺した事があると聞きましたが、本当ですか? ソ連軍がパラシュート部隊にパラシュートなしで降下させたことがある,というのは本当か? WW2時のソ連が火砲や戦車などの分野においてドイツ以上の基礎技術力を確保できていた理由は何なんでしょうか? ソ連はイギリスのために何かしたんですか? ソ連は何であんなに兵士が多かったんでしょうか WW2でアメリカやイギリスの援助がなければ、ソ連はドイツに負けていたのですか? ジューコフとかそういう将軍が出てくるまでのソ連軍の戦術は ソ連軍てドイツ相手になんで途中からあんなに強くなったんですか スターリンは軍事的な専門教育を受けていないのにもかかわらず、専門者が設計した多砲塔戦車や多砲身戦車の限界を見抜いていたのですから、軍事的な天才だったのですか? ソ連の第二次大戦での戦死者が時代を経るごとに増えているのは何故? 独ソ戦の時のロシアマフィアの活動について教えてください ソ連軍は、なぜ人海戦術をとったんですか? モスクワが堕ちてもロシアはまだ抵抗を続けてましたか? ソ連軍の第一線は軍規が良好だったって本当ですか? ソ連兵の「銃は二人で1挺」突撃は史実なのでしょうか? 第二次世界大戦時のソ連は銃を2,3人に一挺だったっていうエピソードが,映画「スターリングラード」にありますが,これは独ソ戦全体を通してのことだったのですか? ソ連兵は文盲が多かったて本当? WW2でソ連は人海戦術で勝ったんですよね? ソ連の対独先制攻撃計画について教えて下さい カチューシャ等、zisトラックを改造して作ったソ連の戦闘車両は、終戦までにどれほどの数が作られたのでしょうか? ポーランドに侵攻したドイツは英仏から宣戦されてますが、何故ソ連は宣戦されなかったのでしょうか 独ソ戦の際に、ソ連に徴用されていたコサックなど少数民族がドイツ軍へ寝返ったようなケースがあるらしいと聞いたのですが、 第二次大戦中のソ連軍の歩兵師団の構成ってどんな感じだったか教えてくださいまし ソビエトは大戦中にM1バズーカやパンツーファウストのような対戦車ロケット兵器の開発・生産は行っていたのでしょうか? 二次大戦時のソ連のパイロットですが、軍に入隊する以前からパイロット職についていた人間がそれほど多い国とも思えません。 ソ連参謀次長の個人文書の中にあった「対独先制攻撃計画の草稿」以外に何か、ジューコフがスターリンに計画を提出した証拠は出たんでしょうか? 独ソ不可侵条約はドイツはニ方面からの攻撃を避けるためなのでしょうが、ソ連はどういうメリットのためでしょうか? ソ連は、モロトフ=リッベントロップ協定以前からバルト三国に対して具体的な計画を持っていたのでしょうか。 アメリカからソ連にレンドリースされた兵器って何があるんですか? ヒトラーは「そのうち人材が尽きる」と言っていたようですが、終戦時の赤軍の主な兵力を教えて下さい。 ソ連の対日宣戦はどのような手続きで行われたのでしょうか? ソ連は何故WW2で砲兵を大量に運用したんでしょうか? WWⅡでのソ連は何故歩兵師団の事を狙撃兵師団などど呼称していたのでしょうか? マスケット銃兵に対してライフル銃兵を狙撃兵(射撃兵の方が感覚としては近い)と呼んだ事の名残。 英訳ではライフル師団。 じっさい当時のロシアの歩兵に占めるスナイパー比は相当なもの 200人くらいぶっ殺した有名な女性スナイパーもいたな (8 257-258) 第二次大戦後にイギリスやアメリカが貸していた艦はちゃんと返却されてたのでしょうか? で、英国、米国からの貸与品は紆余曲折有りましたが、損耗分を除いて、大型艦は返却されています。 主なものですが…。 (戦艦) アルハゲリンスク(英・ロイヤル・ソヴェリン級 ロイヤル・ソヴェリン) → 1949.4.2返還 (巡洋艦) ムルマンスク(米・オマハ級 ミルウォーキー) → 1949.8.3返還 (駆逐艦) Zh級4隻(米→英→ソ・平甲板型) → 1949.2.4~1952.8.23返還(英へ) (フリゲート) EK-1級28隻(米・タコマ級) → 1948.11.17に座礁沈没したEK-3を除いて1949年に返還。 これが、後に日本、韓国、タイ、コロンビアに供与されたわけで…。 このほかの貸与小艦艇は、1956年までに米国の立ち会いの下で、解体されています。 (17 眠い人 ◆ikaJHtf2) スターリンってば開戦前に軍の幹部を何千人も粛清しちゃったみたいですけど、何で? 開戦前は確かに緊迫した状態でした。スターリンは革命後に同胞の政敵を倒して政権の座につきました。 が、一方では軍の反乱を恐れていました。NKVDとか秘密警察が市民や軍を監視下においていました。 つまり独裁者とは常に被害妄想に捕らわれます。(スターリンもヒトラーも同じ) 軍の最高幹部トハチョフスキーは二番人気で、スターリンは新たな革命を恐れていたわけです。 1936/37年にSSの情報機関SDがソ連軍弱体化計画をします。 軍およびトハチョフスキー一派が軍事クーデターを計画していると情報操作を行い、 これが見事に成功しトハチョフスキーから順次逮捕されていきます。 逮捕イコール拷問で、密告が密告を生み無実な将校が死刑にされました。 この結果、ソ連軍の頭脳である参謀本部は作戦能力が低下し、38/39年の フィンランド戦争や41年バロバルッサでも作戦指揮に大きく問題が発生した。 (27 一等自営業 ◆kawD31MU) 第2次世界大戦中の原爆開発といえば、アメリカ、ドイツとやっていて、日本でも研究してたのは知ってますが、ソビエトはどうだったのでしょう? 第2次大戦前は英米ソ日独の核開発研究はほぼ同じレベルでした だから、米国の科学者が流した情報ですみやかに原爆が製造できたのです 大戦前はどの国も理論的研究しかしていなかったんだよ あえて順番をつけるとすればイタリアが最先端、次がイギリスで後はどんぐりの背比べ マンハッタン計画は1941年12月6日にスタートしており、すでにどんぱちの真っ最中 アメリカはこの時点まで、「原爆開発予算」はゼロに等しい (32 481,532) 第二次大戦後のソ連は、レンドリースの対価をちゃんと支払ったんでしょうか? 話半分かもしれないですが、1970年頃の米ソ首脳会談でこのようなやりとりがあったらしい。 ニクソン:「ブレジネフ君。頭に思い浮かべてくれ給え。極寒の戦線。そこで動いている、戦車は 我が国のM4、それにレンドリースのトラック、空にはP-63が飛んでいるではないか。 さて、今回、その兵器の代金xx億ドルの請求書を持ってきたのだが…。 これをきっちり払って貰えるだろうか。」 ブレジネフ:「はっはっは。酷い兵器ばかり、しかも二線級のものばかり送ってくれたじゃないか。 この請求書の10分の1くらいの金額にしかならないよ。」 と言うことで、物別れに終わったとか。 北欧空戦史の末尾に載っていたような…。 (38 眠い人 ◆ikaJHtf2) ドイツがモスクワに迫ったとき、スターリンは以前投獄した将校を大勢連れ戻して戦わせたのですか? 「ドイツがモスクワに迫ったとき、スターリンは以前投獄した将校を大勢連れ戻して戦わせた」 という話は流布していますが、正確な話かは微妙です。 たとえば戦前に「ポーランドと日本のスパイ」容疑で逮捕されたロコソフスキーは実際には1940年に釈放され、開戦時には機械化軍団司令官でした。 他の人々の話にも似たようなものがあり、1939年の粛清「終了宣言」後、段階的に釈放されていたものと考えられます。 また開戦直後には収容所に残っていた者の銃殺が一時激化したようですが、秋ぐらいには釈放が大規模になったと考えられます。 以上は90年代前半までの公開文献を基にしているので、最新の研究ではもっと明確かもしれません。 (63 426) ソ連のレンドリースの代金はどうなったのでしょうか? 第二次大戦終結後すぐ米ソは冷戦に突入した為、レンドリース代は長い間未払いのままだったのですが、 米ソの関係修復が行われた72年にレンドリース代支払いについての交渉が始められ、 1990年の6月に返済について合意したそうです。丁度、ゴルバチョフ書記長のグラスノスチの頃ですね。 ただし、ソ連側は代金を「この兵器は役に立たなかった(M3中戦車か(w」とか、ゴネまくってかなり値切り、 支払ったのは米側が提示した金額の半分以下です。因みに今でも払っています。 なお、ソ連時代の未払い債務だけでなく、帝政ロシア時代の債務も不履行しているので、 1934年4月13日施行の、対米戦債不払い国への融資を禁止するジョンソン債務不履行法に基づき、 ロシアがアメリカ市場(事実上、国際市場)で起債を行うには、帝政時代の分まで返済する(若しくは外交で決着する)必要があります。 (256 ue ◆WomMV0C2P.) 何故、赤軍はフィンランド軍も倒せないほど弱かったのに大戦後半から急に強くなったんですか? 冬戦争でソ連が勝利できなかった理由の一つに、 トハチェフスキー元帥を始めとする赤軍幹部をスターリンが1937年に粛清 (いわゆる「赤軍大粛清」)したために軍が弱体化していたことがあります。 また、自国の地形を熟知するフィンランド軍が、複雑な地形を利用して巧みに 軍を配置し、数の不利をカバーした事や 各国の世論が一様にフィンランド支持で物資の支援があったこともあります。 44年以降の攻勢はソ連軍が本来持つ力を発揮できたということでしょう。 (41 名無し軍曹) ソビエト軍の懲罰部隊について教えて下さい。 WW2当時です。空軍ではシュツルモビクの後部座席の射手が 空軍懲罰部隊の指定席と言われてます。死亡率が高かったようです。 陸軍では攻撃部隊の前を前進して、地雷を踏み潰すのが担当だったと記録されてます。 (スタボーロフの三部作だったかな?) (46 一等自営業 ◆JYO8gZHKO.) ワルシャワ・パクト側に立った戦記(仮想・ドキュメンタリ問わず)作品はありませんか? Warsaw-Pact側からのは寡聞にして存じませんが、学研から「スターリンの 外人部隊」という本が出ています。 後、英語で良ければ、スコードロン・シグナル社から、Warsaw-Pact Air Force と言う本が出ていました。 後は仮想戦記もので、トム・クランシーの侵攻作戦レッド・フェニックス(文春文庫) くらいでは? (75 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソ連は捕虜になることを認めてなかったんだっけ? ノモンハン戦の初期に日本兵が塹壕から火炎瓶やら地雷を棒につけたヤシで攻撃 したらコレがけっこう有効だったとかで逃亡するソ連戦車兵が続出。んで 戦車兵が逃亡するのを防止するためにハッチを溶接したそうだ。 (84 37) 独ソ戦のソ連で「銃は二人に1つ」なんて事があったそうですが開戦当時のソ連は物資が不足していたのでしょうか? また、米英の援助はいつから始まったのでしょうか? 元々、食料品、日常生活必需品は不足気味でしたが。 独ソ開戦当初は、前線の壊乱により補給線の構築が出来ず、 また工場疎開もあったため、中には銃が行き渡らなかった部隊もあります。 なお、米英の援助は、1941年6月の独ソ戦開始と共に開始されています。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 独ソ戦の本にソ連軍の「第○梯団」という記述があるのですが、どのような集団なのでしょうか。 軍団師団は編制 梯団は編成 (106 381) ソ連兵の中には理性を持ったは居なかったのでしょうか? ソ連兵に食料や燃料を別けてもらったとか美談も多数あるのだが 横暴ぶりのほうが目立って評価されない。 (109 384) なんでもいいから独ソ戦に関する本を一冊読んでみればいいんじゃないでしょうか。 (109 385) ソ連兵との間の関係が「憎むべきファシストども」から「個人対個人」に なってしまえば面食らうぐらい親切とのこと。 あと、邦正美「ベルリン戦争」でのシベリアの片田舎から来たソ連兵の描写は興味深い。 (109 386) 戦場ではどこの国の兵士でも、その緊張感と恐怖、非日常性に影響され、 蛮行におよぶことがあるそうです。これはロシア兵にかぎりません。 戦場での兵士の心理を分析した資料としては、 J.Glenn GrayのThe WarriorsやPaul FussellのWartimeなどがありますよ。 (109 406) 高度1000メートル前後でパラシュートなしで飛び降りて助かったソ連兵の話って本当なんでしょうか? 「信じられないが本当だ」スレの過去ログを参照されよ。 ちなみに下は深い雪。 (110 110) いや、奇跡的に助かったケースはソ連兵に限らず多々存在するが、ソ連軍が 組織的にパラシュート無しの降下訓練を行っていたというのはデマと思われる まぁスペツナズは夜間、高度50mから集団パラシュート降下するという訓練を行っていたらしいので、 それに尾ひれがついたか? (110 112) WW2でソビエト軍の兵士が武器ももたずに赤旗だけ持って突入してますがあれは何を意味するのでしょうか? 士気高揚の為です。 ンなバカな、と思われるでしょうが実際に士気は結構上がったらしいです。 フィンランド戦争の戦記でも、突撃して来るソビエト兵の先頭に、赤旗を掲げた兵が・・・と言う描写が あるのでソビエト軍はよくやっていたようです。 (113 607) 革命の旗手となり、戦勝するという意味 (113 609) さすが、というか日本でも同じような事をやってる。 銃剣突撃の際は指揮官(大抵は小隊長)が真っ先に切り込むため、 一番死傷率が高い。 他にも、将校だけ装備が違ったり、馬に乗っていたり等目立つので 狙撃される事もしばしばあったそうだ。 (113 612) (ソ連の)政治将校ですが、が部隊長として直接部隊を指揮するわけにはいかないのでしょうか? 政治将校は一般の部隊長が軍の命令(つまり党本部)の意向通りに 動かしているかを見るのが任務です。 元々政治将校は軍人じゃないはずだし。 (120 655) 政治将校というのはロシア革命直後の反革命派との内戦時に、 旧軍から採用した軍人が寝返らないように付けたお目付け役が起源です。 主に若手の党員が採用されるもので、軍人ではありません。 また、原則的に軍内の政治教育と戦意高揚が任務ですので、 用兵面は現場の指揮官に任せて口を出さないのが普通ですよ。 (120 658) ただパウル・カレルの著作によれば、赤軍大粛清の影響で独ソ戦初期は指揮官の人材が払底していた。 そのため教育水準が高く、士気も高い政治将校が無能な野戦指揮官に代わって指揮をとったケースも多かったそうだ。 また政治将校の職務として一般の兵士に対する思想教育、 アジテーションによる士気の向上や兵士の身の上相談に乗るといったものもあった。 兵士たちが政治将校のほうを信頼する場合もあったとのこと。 (120 659) 政治将校の位置付けは時期によって変わるので注意すること。 658は主として内戦期、 659は大戦初期 内戦終結後、党員である軍人が増え、政治委員の必要性は低下、配置されない部隊も増加。 粛清期において政治委員は増加し、大戦初期において 659のような状況も見られた。 ただしこの時、「政治委員」は通常、軍籍をもつ政治担当副指揮官であった(例外有り)。 戦後は完全に軍の一部で、政治担当副指揮官 (120 681) 1942年度後半においては、政治委員の役割は、 政治的な役割のみに限定するとの命令が出されている。 現実の運用において、政治委員が軍事面においても 大きな力を持った場合はあったにせよ、 それまでの独ソ戦の経験から軍を信頼した方が好結果につながることを 共産党指導部も学んだことによる。 (120 682) 太平洋戦争時のソ連極東艦隊(太平洋艦隊?)の規模はどのぐらいだったのでしょうか? 「太平洋艦隊」でOK (「Тихоокеанский Флот」を訳しても「極東艦隊」にはなりません) 太平洋戦争時と言っても、1941年と1945年ではかなり差が有るので、 1945年初頭の時点のおおよその艦艇数 巡洋艦2隻(18センチ砲9門) 駆逐艦10隻程度(嚮導駆逐艦1隻、中型駆逐艦9隻程度) 海防艦6隻 潜水艦60隻弱(ほとんど沿岸用小型潜水艦) 巡洋艦2隻は、1942年末と1944年末にアムールで竣工した艦であり 太平洋戦争開始時には無かった。 この他、太平洋艦隊から北洋艦隊に転属した駆逐艦や潜水艦もあり 1945年初頭では、これくらいの規模になっていた。 (343 831) 第二次世界大戦で,ソ連軍の死傷者数は1000万超と群を抜いて多いわけですが,どうしてでしょうか? 日本の死傷者数が,終戦間際の無謀な作戦に比べると少ないように感じるのは,もともと外地で戦ってて,守備隊が全滅した時点で終わるからです. 沖縄戦を本土でやったらどうなるかを考えてみてください.ソ連と大差無いレベルまで死傷者は増えるでしょう. 人口が違うので1000万は超えないと思いますが. 膨大な餓死者や病死者が発生したというのもあります. 独ソ戦の初期には十万単位でソ連兵が捕虜になったが,鉄条網で囲んだだけの野っ原に閉じ込めてまともに食糧を与えなかった. あまりにも多くの捕虜がいて,ドイツ軍の補給・管理能力を超えていたのと,どうせスラブの劣等人種だからと捕虜の待遇はほとんど考慮されませんでした. そのため人肉食が起きるほど,捕虜の食糧事情は悪化しました. 医療活動もまともに行われず,衛生状態も最悪だったので,疫病などが発生し,それによる死者も多量に出ました. さらに戦場となったのがロシアの農村地帯なので食糧供給が極度に悪化し,独ソ双方がとった焦土戦術が追い討ちをかけて民間人も大量に死にました. さらにまた,開戦前の大粛清で優秀な指揮官がソ連軍には不足してたことと,開戦後の大敗北とで,兵士が大量に失われました. 開戦当初のキエフやヴィヤジマ・ブリヤンスクの包囲では数十万人が一度に捕虜になっています. 開戦から数ヶ月で100万以上の戦力が失われ,12月にはモスクワ直前までドイツ軍が迫るって状況. 初期のキルレシオは20 1を超えていたと言われます.捕虜も死傷者に含めたら比率はかなり増加するでしょう.ソ連がドイツを押し返してベルリンに迫っていく頃になって,やっと同じくらいになりました. 後半は多少マシになったとはいえ,前半はとにかく数でドイツ軍の進撃を食い止めるしかありませんでした. そこで根こそぎに近い動員を行い,新兵をろくに訓練もせずに戦場に投入しました. (そうでもしないと質的に優れたドイツ軍に対抗できなかったという事情もありますが) 田舎の村から成年男子を「志願」させ,前線近くまで連れてきてから銃の撃ち方だけを教えてそのまま突撃→機関銃の餌食なんてのは日常茶飯事でした. この傾向は終戦まで続き,ソ連軍の損耗率はドイツ軍と比べて段違いに多かったのです. 例えばノルマンディ上陸作戦の時,ドイツの軍服を着たアジア人が一人捕虜となっています. 最初は日本兵かと思われましたが,調べたところ中国国境近くのチベット系遊牧民と判明. 東の果てでソ連軍の兵士として引っ張られてモスクワ前面で捕虜となり,その後ドイツ軍に志願してノルマンディで勤務してたことが明らかになっています. それくらいてんぱった状況だったわけですね. 日本軍のほうは,大戦末期で大変だ大変だといわれながら,訓練はできる範囲でしていたようですね. シベリヤに抑留された枢軸国捕虜が強制された無償労働は、ソ連にどれぐらいの経済効果を与えたのでしょうか? とりあえずドイツ人捕虜は6億8600万労働日の労働をこなし、その収入は111億ルーブル。 但し、食事、宿泊などの経費が133億ルーブルかかっており、差し引き22億ルーブルの赤字 と言うことになっています。 また、このほか、100の科学・技術上の新案を獲得しました。 (365 393,眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソ連が、占領した国の国民の大半を追放か殺した事があると聞きましたが、本当ですか? バルト三国では、元々多数派だった彼らを辺境に追放したり、粛清したりして、 代わりにロシア人を入植させた為、人口比がほぼ拮抗する状況になっていたりしています。 今は、自国民の優越を巡って、ロシアと緊張関係にあったりします。 (358 292:眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソ連軍がパラシュート部隊にパラシュートなしで降下させたことがある,というのは本当か? 本当です. この話は,高橋慶史著『ラスト・オブ・カンプフグルッペ 続』(大日本絵画)で詳細が判明しました. これは1942年2月のモスクワ南西200kmのユーフノフ付近でのソ連軍降下兵の話. 湿地帯の雪の上に高度約10mで低空飛行した輸送機から約千人の降下兵が飛び降りて,半数が骨折もしくは負傷. 残りの兵士も湿地帯で動きが取れず,作戦は失敗したとの事です. (名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE) WW2時のソ連が火砲や戦車などの分野においてドイツ以上の基礎技術力を確保できていた理由は何なんでしょうか? そもそも、ロシア帝国の時代からロシアの技術力はそんなに低くはない。 ただ、農業主体の経済剤構造だったロシア帝國ではそれを活かす先が余りなかった、と言うだけ。 それと、主に貴族と皇族の装飾品を作るための技術から、金属の加工技術に関しては欧州の国の 中でも高いレベルにあった。 それを工業生産技術の方面に活かすには需要も産業もなかったと言うだけ。 ということで革命起こす前の国家のレベルがそれなりに高い訳だから、革命の混乱による人材の 流出や革命干渉戦争による国土の荒廃はあっても、ソビエトとしての体制が確立した時点で それなりのレベルを保っている。 (555 420) ソ連はイギリスのために何かしたんですか? 英ソ相互援助協定とかいって。イギリスがソ連に物を送ったのは知ってますが 小麦やら肉やらを送ってる 援助とはいいながら実体はバーター貿易に近い でもって英国に食料を送る必要からソ連国内では深刻な配給不足が起き100万人単位の餓死者が出た (570 53) ソ連は何であんなに兵士が多かったんでしょうか 1950年ごろのロシア(ソ連全体ではなく)人口が1億人強、日本の人口が8千万人強なんですがなんであんなに兵士数が違うんでしょう 今の北朝鮮と同じで、ある種の戦時体制だから。 ただ、ソビエトの場合(ソビエト以外の社会主義国家でも同じようなものだが)、 最新鋭の装備を与えられてフルタイムで勤務している「軍人」は総兵力の3分の1 程度(いくつかのカテゴリーに分けられてた)で、残りの3分の1は一世代前の 装備を与えられていて、編成も後方支援や後方治安維持に軽度化された二線部隊、 残りの3分の1は編成上だけ存在してる予備部隊で、基幹要員の他はトラックさえ 定数が配備されてなかった(戦時には民間のトラックを徴用して装備する)。 将校下士官も予備役の人が動員されることになっていて、「師団長代理」一人と 事務要員が数人いるだけ、武器は大戦時のデッドストック・・・というのがほとんど だったり。 なので実際の「軍事力」としての部隊は全体の三割ぐらいで、これでも相当な数だが ソビエト政府の公式発表ほどには兵力はなかった。 (339 638) WW2でアメリカやイギリスの援助がなければ、ソ連はドイツに負けていたのですか? 米ソの出会いが、エルベ川で無く、オーデル、ナイセ線になるくらいだな。 独ソ戦が始まってからしばらくして、伍長閣下曰く 「ソ連に戦車がこれほどあると知っていれば、私は戦争など始めなかった」 戦争初期でこれだから、後はお察し下さいとか。 (創作質問スレ50 369-370) ジューコフとかそういう将軍が出てくるまでのソ連軍の戦術は その辺の農民等を連れてくる→武器を持たせて突撃(逃げる奴は督戦隊の政治将校が射殺) だったという話を聞いたのですが本当なのでしょうか。 ほぼうそ、トロツキーがロシア革命とその後の内戦の中で 赤軍(ソ連軍)を作り上げている。 また、トロツキー失脚後もトハチェスキーが 赤軍を再編し機械化された近代的な軍にしている。 ただ、スターリンの大粛清によって軍に有能な人材がなくなり 一時期は突撃以外の戦術が指揮官によってはほとんど使えなかった時期もある。 具体的には1937~8年の大粛清から大祖国戦争のスターリングラード開放ぐらいの時期になる。 (585 526) ソ連軍てドイツ相手になんで途中からあんなに強くなったんですか 緒戦の大損害を受けた時の生き残りが再編成で各師団の中核として配置されたり、 2年目以降、ソビエト軍指導部が、むちゃな死守命令をださず、後退を認めてたりす るように融通が利いてくるようになったから。 また、レンドリースが届いたり、ウラルの奥に疎開した兵器生産工場がフル稼働を始め、 兵器が潤沢に供給されるようになったから。 2年目以降は毎週のように編成される戦車旅団の情報を伝えられたヒットラーがこれは欺瞞情報だと 判断するくらい兵器生産が軌道に乗っている。 (596 981) スターリンは軍事的な専門教育を受けていないのにもかかわらず、専門者が設計した多砲塔戦車や多砲身戦車の限界を見抜いていたのですから、軍事的な天才だったのですか? 彼についてはガチガチの質素倹約を良しとすると言う考え方を戦車にも当てはめたらしく それが戦車の設計をシンプルにする考えに辿り着いたとされている。 他方、T34の試作段階で転輪で走行する構造を廃止することも容認しており、主砲強化と 装甲強化こそが重要と言う発想があった可能性もある。 また、当時のソ連には、なぜか戦車開発に干渉する砲兵総監がおり、新型戦車の初期トラブル を改設計しなければならない時期に主砲の強化を要求することが慣例化しており、新型戦車は 不具合が多いかわりに早期に初期バージョンより主砲が強化されている。 なお、独ソ戦の緒戦については、彼の意識は縦深防御で固まっていたのに、前線の指揮官が 国境付近で押し返してポーランドで決戦する気になっていたので、総崩れになったと言うのが 最新の研究だったりする。 まあドイツ側もスモンレスク決戦の意図を理解せずイェリニア村の全滅とかやらかしてるので 前線指揮官の無理解は仕方が無い。 (617 854) ソ連の第二次大戦での戦死者が時代を経るごとに増えているのは何故? 資料の公開がソ連崩壊後に進んだから。 単純に何人死んだか確認取れなかったから。 戦線が流動的に動いているし、初期の劣勢時は戦闘要員とも言えない様な子供や老人を片っ端から動員している。 更に戦況が優勢に傾くと今度はドイツに付いたり、協力した反動分子の抹殺をしたり。 こんな状況では正確な戦死者数を数える事など不可能。 だから時間の経過で情報が整理されていくにつれて、どんどん増えていった。 (312 86,87) 独ソ戦の時のロシアマフィアの活動について教えてください 前線で祖国の為に戦っていたりしたのでしょうか? ttp //en.wikipedia.org/wiki/Russian_Mafia#History ttp //en.wikipedia.org/wiki/Thief_in_law ttp //en.wikipedia.org/wiki/The_Bitch_Wars 独ソ戦中に刑務所や矯正収容所に収監されていたマフィアの一部は、刑期の短縮と引換えに兵士として従軍した。 戦後彼らは元いた収容所に戻されたが、政府に従わないという掟を破った裏切り者「スーカ(雌犬)」として残った マフィアの囚人達から虐待された。 スーカ達も収容所の管理に協力することで生き残りを図り、収容所内でマフィアと激しい内部抗争「雌犬の戦い」を行った。 (641 950) ソ連軍は、なぜ人海戦術をとったんですか? ソ連軍の作戦で人海戦術と呼べるような物が行われたのは、第一次ソフィン戦争(いわゆる冬戦争)と 独ソ戦の序盤のみです。 この頃の赤軍は、粛清によって士官が不足していました。 第二次大戦期の軍隊は(現代もそうですが)30~40人程度の小隊を分隊支援火器を中核とした10名 以下の分隊と軽機関銃によって火力支援を行うグループに分け、機関銃掃射や榴弾砲で一掃される事 が無いように分散して行動する事が常識化していましたが、当時のソ連軍は士官の不足からこのような 戦術を採る事ができず、中隊(200人規模)が一丸となって突撃するという、19世紀のような戦い方しか とれないような状態になっていました。 独ソ戦以降、この状態は改善され、ソ連軍は物量を生かした火力主義・包囲殲滅主義に基づくドクトリン を完成させた事もあって、このような稚拙な戦術を取るような事はなくなりました。 なお、人海戦術とは本来は、毛沢東の提唱したゲリラ戦術であり、敵の拠点を自軍シンパの住民で取り 囲み、孤立させる事を「人民の海に敵を埋葬する」と表現した事に由来します。 これが数に物を言わせた無策な突撃戦術の代名詞となったのは、ソフィン戦争当時のソ連軍のように、 20世紀型の軍隊を組織できていなかった朝鮮戦争時の共産党軍の様相が広く知られるようになった ためです。 (647 188) モスクワが堕ちてもロシアはまだ抵抗を続けてましたか? 続けました。 1943年夏まで、臨時首都に移転していました。 「独ソ戦時、クイビシェフはモスクワがドイツ軍に占領された場合のソ連の臨時首都候補に選ばれた。 1941年10月にはソ連共産党幹部、政府機関、各国からの外交官、文化人などがスタッフとともにクイビシェフへ避難した。 (中略) 1943年夏までクイビシェフはソ連の臨時首都となっていたが、モスクワへのドイツ軍の脅威がなくなったため、 同年首都機能はすべてモスクワへ戻されている」 下記、ウィキペディアのサマーラのソビエト時代 を参照ください。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9 (648 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.) ソ連軍の第一線は軍規が良好だったって本当ですか? 良好でした。理由は政治委員が配属されていたからです。 彼らは裁判などの手続きなしで軍将校をも射殺できる権限がありました。 よく話題になる略奪などは政治委員の配属されていない後方部隊やパルチザン のしわざのようです ドイツ軍の捕虜を殴り殺そうとする兵士たちを政治委員が制止して助かったと いう事例は多そうだな。パウル・カレルの本にも記述がある。 もっともその後に尋問やらシベリア送りが待ってるわけだが 軍規の塊みたいな政治委員だが、それが恨みを買ったりしてるよな ソ連歩兵が部隊ごとドイツに降伏するときに真っ先にしたことは政治委員を 全員射殺することだった。政治委員は投降など絶対に許さないからな 政治委員自体捕虜になれないから死ぬまで戦う (662 379-392) ソ連兵の「銃は二人で1挺」突撃は史実なのでしょうか? その映画はちゃんと見ていないが、WW2時のソビエトに関して言うなら事実だろう。 酷いのになると、スコップや木の棒を持って突撃させられる。なんて実話もあった。 独ソ戦前半の師団どころか軍単位で部隊が壊滅した状況で、なりふりかまわぬ動員で急遽編成された部隊においてはそんな感じ。 大戦後半ではアメリカからの大量の物資供与や兵器の大増産で装備は充実していった。 ただし兵員の損耗率が非常に高かった為、終戦まで定員を充足していた部隊は少なかった。 むしろ大戦末期のドイツ軍において、空襲による工場の壊滅や鉄道・道路の破壊による輸送の混乱で装備が足りない部隊が続出していた。 (294 101-102) 第二次世界大戦時のソ連は銃を2,3人に一挺だったっていうエピソードが,映画「スターリングラード」にありますが,これは独ソ戦全体を通してのことだったのですか? 独ソ戦初期の戦闘態勢が整わなかった時は,ソ連軍ではどこもそんなものだったらしい. 独ソ戦後半にはウラルの東に移転した工場が生産を増強し,さらにアメリカからの支援物資の輸送が順調になってきたので兵器不足は解消されている. 「ロシア兵はアメリカ製の生地で作られた軍服を着て,アメリカ製の靴を履き,アメリカ製のコンビーフを食べて,アメリカ製のトラックに乗って戦う」 なんて言われたくらい. 前半の損害について言えば,大量の兵員を損失したことの方が響いていて,戦争終結まで多くの部隊は定員を充足していない状態で戦っている. 戦争末期にはドイツ軍の方の兵員及び武器弾薬の不足の方が深刻で,国民突撃隊などはそれこそ三人に一丁の銃で,それもイタリア軍からの鹵獲品. しかも,しばしば補給された銃と弾薬の規格が合わないなどという状況もおきている. ダンケルク撤退後の英軍も火器不足が深刻で,急造型短機関銃を作って(それがステン・ガン)みたり,槍で武装したり. ソ連兵は文盲が多かったて本当? 当時のソ連は全体からすれば、小学校すら設置されてない 遅れた地方ってのが多く、多数を占める農村の子弟らも 学校に行く生活的余裕もなかったために、教育を受けられず 文盲が多かった時代ではあったのは事実 今の中国みたいな状態 アメリカの場合も一部貧困層は(今でもだが)経済的な理由で学校に行けない あるいは行かないので、米軍兵士には文字が書けないってのはいた だが、これは移民の子供という背景も多く、親の母国語の読み書きは親から習ってできるけど アメリカ国内公用語の英語ができないっていう複雑な状態の人も結構居たりする ソ連も同様で、多民族国家なので共通語を習得してないって人の割合も多く、 これが識字率の低さにも一応繋がってはいる とりあえず識字率のデータ http //src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/46/shiokawa/hyo1.html 表2 民族別の識字率の変遷を参照 ちょうど1939年のがある 民族にもよるが、70%ちょっと… 全体の平均では89%… 「意外にも高い」とみるべきか「3割から2割も文字が読めないということ」と見るべきか (664 148-162) WW2でソ連は人海戦術で勝ったんですよね? ソ連軍のは人海戦術じゃない。 人海戦術ってのは、毛沢東の造語で、「人民の海に敵軍を埋葬する」戦略のこと。 ソ連軍の攻撃ドクトリンは、トハチェフスキーの縦深攻撃をベースにしたもので、 広範囲かつ数段にわたって攻撃を継続することで防衛側を拘束し続け、 ほころびが見えた箇所から一気に突破するというもの。 攻撃が阻止されても攻撃し続ける必要が出てくることから、一見無理押しに見えるし事実そうなんだけど、 全体から見るとそれも必要なのね。 タンクデサントについても、戦車・歩兵直協ってのはWW2の課題で、 結局大戦中に結論は出ていないと見る。 結局、ソ連は大の虫を生かすのに小の虫を殺すことをためらわなかった、ということではないかな。 (672 334) ソ連の対独先制攻撃計画について教えて下さい ソ連の対独先制攻撃計画は、80年代に当時の西ドイツで騒がれ始めた説ですが、証言者や物証がありません 当時の参謀次長の個人文書の中から、スターリンに提出するつもりの「対独攻撃計画意見具申書」の、 草稿が見つかったのみで、実際に提出されたのか、またそれに対してソ連政府(スターリン)が どうしたか等の公式文書なりは見つかっていません また、ドイツ側の対ソ戦決定に関連する公文書は多数残されていますが、 「ソ連が対独先制を決意しており、ドイツはそれを知っていた」を記録した物も見つかっていません ソ連の対独侵攻計画について詳細に触れた本は「砕氷船」という本だと思われます。 著者がソ連からの亡命将校(GRU所属の佐官)であることもあって、ドイツ系の書籍では大きく扱われることが多いようです。 「砕氷船」は未見なので明確に言えませんが、「知られざるスターリン」等、ロシアでは否定的に扱われているようです。 「対独攻撃計画意見具申書」(独及びその同盟国に対する戦争の為の戦略開進計画)によれば 支攻撃をジードルチェ、デンブリン方面に加え、ワルシャワ近郊に独軍を拘置する スロヴァキア国境に近いボーランド南部をクラカウ方面に進み、ドイツと同盟国を分断した後北上し、ポーランドに展開している敵軍を包囲 フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、東プロイセンに対しては防御 作戦には303個師団、砲兵74個連隊、218個飛行連隊を使用 と、なっていて開戦時期は記載無し ソ連が41年7月に対独開戦を予定していた、いや43年だった等の説が出ています が、それを肯定・否定する確証は出ていません また西部に防衛するだけにしては多すぎると思われる部隊を配備していましたが、 それが侵攻用だったという事を肯定・否定する確証も出ていません 結果、「そうだったかも知れないけど、証拠は無い」という状態です (117 33-71) なんでもルーマニア方面からヨーロッパに侵攻するつもりだったとか。 ポーランド戦より前の独ソ不可侵条約締結前、英国とフランスはポーランドに ソ連軍を引き入れて、ドイツ軍と戦わせようとしていました。 結局、ポーランドの反対で流れましたが、その辺の事情もあったのではない かと…。 (117 眠い人 ◆gQikaJHtf2) カチューシャ等、zisトラックを改造して作ったソ連の戦闘車両は、終戦までにどれほどの数が作られたのでしょうか? 意外に少なくて、カチューシャとしては500輛程度。 82mmのものを含めると1000輛くらいはいくかもしれませんが。 カチューシャトラックのベースは米国製のスチュードベーカーが多かったりします。 (271 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ポーランドに侵攻したドイツは英仏から宣戦されてますが、何故ソ連は宣戦されなかったのでしょうか 大戦の初頭でソ連はポーランド東部を攻撃し分割併合してますが、当時英仏とポーランドは同盟してますよね? フランスは宣戦するつもりだった。 だがその作戦というのがフィンランドと同盟し、北からフィンランド軍が、南からは中東経由で英仏軍がソ連に侵攻。 モスクワを攻略してフィンランドと握手、という仮想戦記も真っ青な内容だったためイギリスが載らなかった。 さすがにソ連まで相手する余裕もないし。 (268 878) 独ソ戦の際に、ソ連に徴用されていたコサックなど少数民族がドイツ軍へ寝返ったようなケースがあるらしいと聞いたのですが、 これは組織的に行われていたのでしょうか? あと、これらコサック兵の戦後はどのようなものだったのでしょうか? 基本的にはケースバイケース。 しかし共産主義体制下で抑圧されていたイスラム系や、一旦独立後に再併合されたバルト三国などでは当初はドイツ軍を 解放者として歓迎したものも多かった。 またロシア人やウクライナ人のなかにもドイツ軍を歓迎した者もおり、独ソ戦当初には政治士官を殺害して部隊ごと投降する 場合も多かった。 これらの人々がドイツに解放者としての期待を抱き、それが裏切られていく過程はJ・トールヴァルトの「幻影」(絶版)に詳しい。 これら対独協力者の運命だが、ほとんどが処刑もしくは流刑された。 西側に投降した人々も米英がソ連と結んだ協定により引き渡され、ソ連に送られるよりはと部隊単位で焼身自殺したケースもあった。 イスラム系民族ではチェチェン人やイングーシュ人、クリミアタタール人などはその多くがシベリアや中央アジアに流刑されている。 その後にロシア人が入植し、これがソ連崩壊後大きな問題となっている。 チェチェン紛争もその原因の一つがこれである。 (129 172) 第二次大戦中のソ連軍の歩兵師団の構成ってどんな感じだったか教えてくださいまし ソ連軍は三単位編成を取ろうとしていましたが、それまでは四単位編成を取っていました。 このため、数的には19,000名で編成されていました。 三単位編成を取り入れたのは、1941年4月からでこの時の定員は14,483名になります。 しかし、再編成完了前に、独ソ戦が勃発。 独ソ戦初期の人的損害の大きさから、1942~43年頃には10,000名前後になってしまって います。 これが、19,000名に戻るのは大戦末期になります。 ソ連の1941年4月現在の歩兵師団(狙撃兵師団と一般には呼ばれていました)の編成は、3個狙撃兵連隊 と2個砲兵連隊、1個対戦車大隊、1個対空大隊になっていましたが、人的損害多数の結果、そう言った編成 を取らず、3個狙撃兵連隊はそのままで、1個砲兵連隊、1個対戦車大隊、1個偵察中隊、1個工兵中隊、1個 通信中隊とした編成になっていました。 狙撃兵連隊は、連隊本部の下に3個大隊の狙撃兵大隊があり、支援中隊として、対戦車砲中隊、対戦車ライ フル中隊、榴弾砲中隊、迫撃砲中隊がありました。 この連隊の編成定数は、2,474名と他国よりも少ないですが、これは補給部門を軽視していたからと言えます。 狙撃兵大隊は4個中隊で編成され、3個中隊が狙撃兵、1個中隊は、支援のための迫撃砲、機関銃中隊でした。 (262 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソビエトは大戦中にM1バズーカやパンツーファウストのような対戦車ロケット兵器の開発・生産は行っていたのでしょうか? ロケットの開発は行なっていましたが、対地ロケット、航空機用ロケットの開発が主で、 歩兵用対戦車兵器としての開発には余り重点を置いていません。 パンツァーファウスト60を鹵獲し、それを研究した後、コピー品をRPG-1、改良して、RPG-2 として生産し、最終的にRPG-7に至っています。 (144 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 二次大戦時のソ連のパイロットですが、軍に入隊する以前からパイロット職についていた人間がそれほど多い国とも思えません。 ソ連の空軍の基礎は、1920年代、ヴェルサイユ条約によって軍備を制限された ドイツ軍との秘密協定により、お互いのノウハウを提供しあって誕生したものです。 民間航空部門であるアエロフロートもその前身が1923年に誕生し、1932年には正式に国営会社になりました。 ですので、各国と比較しても、英仏米は別格として、軍民共に航空分野における人的資源の養成に それほど立ち遅れたわけではないと言えるでしょう。 もちろん、パイロットには、そうなるための適正が必要であり、その選抜にも恐らく抜かりはなかったでしょう。 ところが、赤色空軍がダメダメになってしまう一大事件が起きます。 そう…スターリンによる粛清の嵐です。 当然、幹部クラスの空軍軍人も多数が粛清の嵐に巻き込まれますし、 事故が起こったり、設計のミスが見つかれば、事故を起こした当事者や 設計者など関係者が反政府分子に祭り上げられ、強制収容所送り…。 ま、そうした体質を話半分と見ても、パイロット養成やら、新鋭機の開発、 航空戦術の発展にブレーキが掛かったのは否めないでしょう。 ちなみに、国営企業時代のアエロフロートは戦時には、空軍の輸送部門に組み込まれました。 戦闘機など小型機のパイロットはなかなかつぶしが利かないでしょうが、 大型機の取り回しに慣れたパイロットなら、アエロフロートで採用された可能性が高かったと聞いています。 (235 566) 民間には多数の飛行クラブがあり、また、農業の機械化という形で、農業機パイロットも 多かった訳で、軍人以外にも多数の操縦経験者がいます。 大体、Po-2だけで、1941年6月22日までに13,500機生産されているわけで。 戦後、彼等のうち、生き残った者は軍用機パイロットとしてそのまま留まったものも 居ますし、民間に戻っても、飛行クラブの教官とか、農業機のパイロットとか、職は 色々ありました。 (235 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソ連参謀次長の個人文書の中にあった「対独先制攻撃計画の草稿」以外に何か、ジューコフがスターリンに計画を提出した証拠は出たんでしょうか? 「ソビエト国軍の戦略的展開に関する意見書、人民委員会議議長宛、一九四一年五月付」 というジューコフの手書きになる文書が人民委員会議議長=スターリンに提出されています。 ティモシェンコ元帥の連署になるジューコフの手書き文書で、 152師団による即時攻撃(ただし即時といっても7月)を提案していました。 まあ、これに対して、スターリンが無視したのか、 それとも秘密裏にその計画に沿った準備を進めていたのかってのが、 前スレでの議論ということになります。 学研の『独ソ開戦』や『詳解 独ソ戦全史』を参照。 (178 201) 独ソ不可侵条約はドイツはニ方面からの攻撃を避けるためなのでしょうが、ソ連はどういうメリットのためでしょうか? 領土的問題(ポーランド、バルト三国、フィンランド)というものもありましたが。 それよりも、ソ連から見て、西側諸国が一致団結して、ソ連に侵攻するのが一番避けたい事態 でした。 1918~20年代初頭に掛けての干渉戦争に対する恐怖が首脳陣に根強くありましたし。 従って、西欧諸国の一角であるドイツがソ連と不可侵条約を締結してくれると言うことは、 英仏と合わせて自国を侵攻する懸念が払拭出来ると考えた訳です。 とは言え、第二次大戦が勃発して英仏との間にファニー・ウォーの状態だった時、ソ連 首脳は英仏独三国が共同してソ連に侵攻するのではないか、と考えていましたけどね。 (180 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソ連は、モロトフ=リッベントロップ協定以前からバルト三国に対して具体的な計画を持っていたのでしょうか。 元々、1919年の時点で、各国ともBolshevikによる革命政府と白衛軍との内戦を経験しています。 もし、ドイツ軍、英国軍、フィンランド義勇軍などの援軍がなければ、カフカス諸国の様に併合されて いた可能性が高いと言えるでしょう。 (199 眠い人 ◆gQikaJHtf2) アメリカからソ連にレンドリースされた兵器って何があるんですか? 有名なのは ベルPー39 エアラコブラとその改良型P-63 キンブコブラ。 アメリカでは日本にボロボロ落とされまくった駄作機扱いだが、ソビエトに送られた ものは大口径機関砲を生かして対地支援に活躍した。 他にもB-25やC-47、陸ではM4A2シャーマン(シャーマンのディーゼルエンジン型)、 M2/3スカウトカー等。 JEEPもいくらかは供与された筈。 ソビエトは勝手にコピーして自国仕様を生産して、そっちが大量に使用されてるけど。 他に有名なものではM3リー戦車かな。 もっともこれはロシアの平原地帯で使うには背が高過ぎてドイツ軍対戦車砲のいい的で、 「7人兄弟収容自走鉄製棺桶」 というイヤーンな仇名をつけられたとか。 (199 864-867) 艦船ではタコマ級フリゲイトやリバティ輸送船など。 余談ですが、ソ連から返還されたタコマ級フリゲイトは再整備の上日本に借与されて "くす"型PFとして創設間もない海上自衛隊で使用されました。 (199 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 米国は、1941年から1945年6月にかけて、16,651,000tの資材、貨幣換算で、9,119,204,000ドル分のものをソ連に 送っています。 陸軍装備の場合は、トラック400,000台、野砲牽引用トラクタ(インターナショナル・ハーベスタTD-14が代表的)、 タンクポーター、偵察車、ハーフトラック、戦車などありとあらゆるものが含まれています。 なお、トラックの1/4以上は2 1/2t積6×4または6×6のスチュードベーカーで、これは有名なカチューシャ用の 車台としても用いられています。 スチュードベーカーは他に5t積6×4(セミトレーラ付きのトレーラトラックとして)が供給されてます。 残りは、ジープ、ダッヂのウェポンキャリア、シボレーとダッヂの1 1/2t積4×4トラック、GMCの6×6、MAC、 マーモンハリントンのダンプとレッカー用6×6などでした。 一時期の東部戦線の一部では、実に赤軍補給車の半分以上が武器貸与トラックでした。 ちなみに、ジープは1942~43年に掛けて、20,000台以上のバンタムまたはウィリスが供給されたほか、フォード GPA、所謂、水陸両用ジープも大量に供給されています。 これらの車輌は、部品状態のまま、ペルシャ湾経由でイランに運ばれ、コーラムシャールで陸揚げされて組立て、 そこからイランを北上してソ連に入っています。 後、戦闘兵器ではありませんが、1942年10月に遊休化していたフォードのタイヤ工場を買収してその工場設備を ソ連に運び、其処に設備を設置して、年間100万本の軍用車のタイヤを生産したりもしています。 海軍には、Tacoma級フリゲートの他、Omaha級軽巡洋艦Milwaukeeが1944年に貸与され、 1949年まで用いられています。 同じ時期に、平甲板型駆逐艦(英国に貸与された50隻のお下がり)が9隻、1944年に貸与され、 これらは1952年まで用いられた上で返還されました。 このほか、YMS級掃海艇31隻、70ft級PTボートが140隻、78ft級PTボートが53隻、80ft級PT ボートが60隻、SCクラスの駆潜艇138隻が引き渡され、SC級の一部は1955年に漸く返還され ました。 航空機では、P-39各型が4,924機、P-63各型が2,421機、PBY各型が189機(他にLicense生産 もあります)、B-24Dが1機、O-52が19機、P-40Bが24機、P-40Cが195機、P-40E以降各型が 2,097機、C-46が1機、C-47が709機(License生産が他にあります)、A-20Bが665機、A-20C が48機、A-20G以後の各型が3,125機、B-25B/D/G/Jが862機、P-47Bが203機、P-47Dが 203機が引き渡されています。 (199 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ヒトラーは「そのうち人材が尽きる」と言っていたようですが、終戦時の赤軍の主な兵力を教えて下さい。 1945年の年平均(1~5月)戦力が633万人。最大約1,000万人まで動員可能。 終戦時の戦車・自走砲の前線配備数が8,100輌(後方配備を含む総合計が3万5,200輌) 大砲・迫撃砲の前線配備数が9万4,400門(同32万9,600門) 軍用機の前線配備数が2万2,300機(同4万7,300機) ベルリン攻略戦だけでも3個正面軍250万人が参加…。 (212 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) ソ連の対日宣戦はどのような手続きで行われたのでしょうか? 駐ソ大使佐藤尚武がクレムリンに呼びつけられたのがモスクワ時間八月八日午後五時すぎ。 (日本時間午後十一時過ぎ) 面会したソ連大使モロトフはその場で対日宣戦布告文を朗読して佐藤大使に手渡してます。 内容的には 「日本がポツダム宣言受諾を拒否したことでソ連の和平仲介は意味を失った。 ソ連政府は連合軍諸国の要請するところに従い、無条件降伏を拒否したことで ドイツ国民が味わった危険と破壊から日本国民を回避させるために日本と戦争状態に入る」 と言った主旨のものです。 佐藤大使は即この内容を東京に打電しようとしますが、大使館の電話回線はすべて切断されて 折、無線機すらGPUに没収されていました。 このため、通常の国際電報を使用して東京に打電することになってしましました。 総指揮官ワシレフスキー元帥が全軍に命令を出したのは(日本時間)八月九日午前零時過ぎでした。 (206 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) ソ連は何故WW2で砲兵を大量に運用したんでしょうか? 自軍の損害を減らすには火力支援が最も効果的だが 他国が航空隊の地上支援で砲兵を代替できると考えたのに対して、 冬将軍や春の泥濘で常に航空隊に頼れる訳でないソ連では、砲兵が最も頼れる火力支援だったから (俺初質スレ436 601)
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部員 2013年度卒 エネループ 役職 元部長 所属 工学部機械航空学科 愛車 JAMIS Durango1.0 / EDDY MERCKX EMX-1 | ヒロ 役職 部Tを作る人 所属 工学部機械航空工学科 愛車 KONA sutra / GIANT XTC / オルカブロンズDi2 ウエさん 役職 貴族 所属 工学部環境材料工学科 愛車 GT TRANSEO 4.0/SENSIUM 300CP くろいわP 役職 プロデューサー 所属 工学部法学科 愛車 GARY FISHER WAHOO カノ 常に2サイズくらい大きいジャージを着ているため、速乾Tシャツくらいの感じになっている。 役職 ムードメイカー 所属 工学部機械航空工学科 愛車 GIANT TCX2 / Cervelo S1 こだわり 全身エアロ体型。サーベロS1を買ったことで最高に手がつけられなくなっている。 テンパー 自転車店でバイトするもシフトでヒィヒィ言わされて留年リーチがかかる。 NUCCにおける自転車コーディネートの第一人者。 役職 5月ごろにパンク修理講習会やりますって言って、その後なんとなく一年過ごす係。 所属 工学部機械航空工学科 愛車 トレック2.1 リチウムさん 役職 カノを追いつめる係 所属 工学部 愛車 ANCOR C9 / Giant TRANCE X / Cinneli Willin SL ヤザワ氏 役職 Angel 所属 農学部応用生命科学科 愛車 FELT QX70 ハッシー 役職 元危険係 所属 建築 野球 中日が負けるとイライラしだして部内の空気を悪くする ブッダ 役職 元合宿係 所属 考古学 つぼい 役職 元新歓 所属 土木 四年 ノヴ 役職 元部長 所属 機械航空 愛車 Cannondale TRAIL SL 3 得意技 サムズアップ たくと 役職 元副部長 所属 電情 愛車 Anchor C9 セリーヌ 愛車がヤバい。 入部当初ケストレルのTTバイクをフラットバーにして乗っていたどうしようもない変態。 ジャージを持っておらずもはや意味がわからない状態だったが、最近ジャージを買って変態感が薄れた。 ジャージを買うことで変態感が逆に下がる例など世界でも希である。 役職 ミーティング後に麻雀やりましょうって言う人 所属 理学部 愛車 KESTREL EMS 500 / GIANT ROCK 4100 / CERVELO S2 ホンジョビ 役職 (;´∀`)・・・うわぁ・・・ 所属 工学部なんだホモ科 愛車 MERIDA MATTS TFS 100D 口癖 はあ.........はあ......先輩ペース落としてください。 ふうぅ...... 三年 いまい君 愛車 アンカーUC9 所属 工学部機械航空 脚質 イベンター 特技 ゴミ袋輪行 輪行 1年に1回 okb 役職 副部長 愛車 JAMIS nova race / SCOTT FOIL 所属 農学部資生 下宿の本棚 マップルとジョジョとのりりんしかない Eだ 役職 会計と主務 愛車 JAMIS aurora / なんだかよくわからないマウンテンバイク 所属 工学部電情 特徴 体を4等分したうちのひとつは全て脂でできている イェイリー 役職 メンテ 愛車 GIANT DEFY白 所属 工学部機械航空 役職 真専属プロデューサー ニシズミ 愛車 TREK 2.3 / ルイガノのクロス / ツアー車 所属 工学部機械航空 推し艦 ふだん控えめで大人しく提督を立ててくれる榛名ちゃんですね ふだんは私なんか・・・って感じだけどひとたび戦場に出れば その火力を生かして敵を沈めまくり夜戦でテンションが上がった時のギャップなんかもかわいいですね どんなに傷ついても榛名は大丈夫ですという健気さとか 入渠のときの謙虚さとかとにかく控えめで大人しいけど いざとなったらものすごいスペックを発揮して敵艦を沈めまくるその姿に僕は憧れるわけですよ 本人から一言 Panzer vor!! 名古屋で細々とプラモを作りつつ提督業もやり、たまにチャリで走るが最近は直列6気筒のエンジンが付いた乗り物に乗ることが多い 好きなアニメはガルパン、ストパン 浮気相手 ビスマルク サトル 役職 部長 愛車 スポルティーフ 所属 工学部機械航空 抱き枕カバー 二つ所有 一言 アイマスというコンテンツが終焉を迎えたら死にます パソターニ 役職 危険係 愛車 SURLY CROSS CHECK 所属 農学部 特技 落車 二年 イキさん 愛車 TREK 1.2 所属 工学部機械航空 上級生 逆らえない パヤオ 愛車 Calamita CX 所属 工学部物工 特技 パンク 役職 先輩を煽る
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Blu-ray ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~ 豪華版 Blu-ray・DVD発売日:2月22日 【スペック情報】 本編約92分、カラー、片面二層、MPEG-4、AVC、STEREO、リニアPCM、16 9、1080i High-Definition 【豪華版】 ■本編DISC+CD エンディングテーマ「ラヴ・スコール」TVサイズも収録したサウンドトラックCDを同梱 ■三折デジパック+三方背アウターケース仕様 2011年12月放送。~the Last Jobに続くTVSP第22作。第23作に~東方見聞録がある。 http //www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20111202/index.html 監督 滝口禎一 原作 モンキー・パンチ 脚本 土屋理敬 キャラクターデザイン 佐藤好春 美術監督 山子泰弘 色彩設計 磯部知子 撮影監督 宮川淳子 編集 笠原義宏 音響監督 清水洋史 音楽監督 鈴木清司 音響効果 倉橋静男 音楽 大野雄二 アニメーション制作 テレコム・アニメーションフィルム 制作協力 日本アニメーション 絵コンテ 滝口禎一 友永和秀 横堀久雄 演出 富沢信雄 総作画監督 佐藤好春 作画監督 白井裕美子 中田博文 ■関連タイトル Blu-ray ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~ 豪華版 ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~オリジナル・サウンドトラック 「Eternal Mermaid」 テーマソングベスト LUPIN The Best リボルテックヤマグチ ルパン三世 フィギュア・ホビー:ルパン三世 原作コミック モンキー・パンチ/ルパン三世 1巻